いまの自分は、みんなのおかげ、という考え
おはようございます!
”今日は晴れやかな気持ちだなぁ、色々あるけど、みんな(目に見えない存在たち)のおかげだな~ありがと~”と、昨夜のお風呂上がりに、心の中で言っていたところ《ブログ、書こう》って、一瞬フッと、”ブログにしよう” って気持ちが沸き起こったので、そのフッをサッと釣り上げて、消えてしまわぬうちに行動しています!(このブログは、昨夜から書いています(^_-)-☆)
今日のブログのタイトル
『いまの自分は、みんなのおかげ』
まさか私がこのタイトルでブログを書く日が来るとは、想像もしていませんでした!!
不思議だったんです、どうして、みんな、違うのかな、って。
小さいころから、ずーーーっと。
どうして、幼少~10代~20代~30代~、いつも苦しく辛い谷ばかりの人生で、何度も死にたいと思いながらも、生かされて、想像もしていなかったような今の私がいるんだろう、って。
どうして、あの逆境、あの苦しみ、あの悲しみ、あの憎しみ、裏切り、乗り越えれたんだろう、受け入れられたんだろう、って不思議でした。
乗り越えられる人と、立ち止まる人、
受け入れられる人と、拒絶する人、
微笑む人と、憎み悲しむ人、
何が違うんだろう、って不思議でした。
そして、ある日、フッと分かったんです。
《そっか、いまの自分は、いま認識している自分だけで創りあげたものではないんだ》
《そっか、いまの自分は、いまは忘れてしまっている過去(世)や神さまと呼ばれる存在、光の存在、目に見えない存在が、経験して学んでくれたことの積み重ねの自分なんだ》
ということ。
自然と、湧き上がった感情
《そっか、だから、わたしは、いまの自分になれたんだ、みんな(目に見えない存在)のおかげだね、ありがとう》
この感情が沸き上がった時の気持ちは、今でもよく覚えています。
ほんとうに清々しく、心が軽く、パーッと光に包まれました。
そして、ハッと気が付きました。
《そっか、今まで 数えきれないくらい他人に対して、”どうして、しないんだろう” ”こうすればいいのに” と思うことがあったけど、それはその人の学びの順番であって、私は”みんなのおかげ”で経験したことがあるから、わかるだけなんだ。だから、他の人が出来ないことやしないことがあっても、それはその人の段階があるからなんだ。心の中で”がんばれ”って言うだけでいいんだ、放っておけないような気がするのも傷つくのも、結局のところ、相手がどうではなく、私はどうするか、それだけなんだ・・私もまた、学びの段階にいるんだ・・》
心底、そのことに気が付いてから、生きるということが気楽になりました。
みんなのおかげ、なんだけど、人はみな、自分のために生きてる
思うことも、発言も、行動も、様々な選択は、突き詰めると、みんな、自分のために、自分がその時信じる幸せのために、選択している。
どんなに理解できない他人の選択(発言・行動・通過点)であっても、その人の魂の経験、その人が持つ幸せの定義、そのほかの信念によって、生じているので、それはそれでいいんだ、その人自身のために経験し生きる権利があるんだ、ということを知っていると、何があっても、いつでも、最後には、自分にフォーカスすることができます。
そして、他人の選択に、自分の幸せの選択をゆだねないでください。
同情・恩・常識・他人の目・共感・血縁・友人、そういった地球の概念・思い込みを一つずつ塗り替えて、自分の本当の幸せを追求し試し経験する権利があります。
だれにでも平等にあって、だれも他人の権利を侵すことはできません。
かわいそうだ、恩がある、義理がある、みんなはこう思う、こうした方がいい、先祖は大切に、親は大切に、家族は大切に、友人は大切に・・すべては他人の信念です。
自分が選択した信念・定義は、どんなものがあるのか?
その信念・定義は、自分をしあわせにするものなのか?
今が苦しかったり、辛かったり、満たされないのであれば、気にかけてみませんか。
そして、自分の中にある、しあわせの定義をチェックして、更新していくことはとっても大切(*^-^*)
例えば、幸せの定義が
・優しい家族に囲まれて、幸せ
・ステイタスの高い彼氏がいて、幸せ
・なんだか好いことあったから、幸せ
・いい会社はいれたから、幸せ
いろいろ挙げればきりがないけど、”~だから”幸せ、というのは、他人・環境の上に成り立っているもので、とても脆い。
ほんとうの幸せは、自分の中、自分自身にある、と私は思っています。
自分の幸せが、誰かの幸せの上にあるのでは、なく
自分の幸せが、環境に左右されるのではなく、
自分の幸せは、自分の掌の中にあって、自分次第
だから、私の20年来の趣味は”いかに心穏やかに過ごすかの追及”です。
私にとっての幸せは、何が起ころうと、何を言われようと、何を失おうと、何を得ようと、穏やかな心でいられる自分の中にある気がしているからです。
どうして、私たちは、他人や社会が定義した幸せを追い求めてしまうんでしょうか?
一流企業の会社員になって、金銭的に裕福で、ルックスも良い配偶者がいて、子供は自慢できる特徴をもち、いい家に住んで、家族旅行をして・・そんな感じ。
想像できる幸せを求めるのは、脳の得意分野です(^^)
魂の目的は、真実の愛を経験し、真実の幸せを経験することなので、心の分野です。
チルルのパワーストーンは、あなたが心のままに生きようとすることを援けます!
←ストーンショップなので、忘れず宣伝( *´艸`)
ちょうど、数日前、本業のクライアントに言われました。
『先祖は、大切にしなきゃだめだよ』って。
だから、当たり障りなく『してますよ、心の中で』と応えました。
いまの自分はみんなのおかげ、って言われると、先祖のおかげ、家族のおかげ、友人のおかげ、環境のおかげ、そういう風に、言われてる気がしませんか?
若いころの私はそういう気がして、このフレーズ、ほんっとうに嫌いでした”(-“”-)”
いまも、そんな好きじゃないです。
いまの自分は、自分のおかげ、基本的には、そう思っています。
みんなも、そう。
だから、”あなたのおかげだよ、ありがとう”って言われても、心底”そんなことないよ、あなた自身のおかげだよw”と思っています。
この世界の人とのつながりは、魂の目的があってつながっているので、必ずお互いに意味があるので、お互い様、お互いに”あなたのおかげ”(*’ω’*)
しかも、近頃の使われる言葉”誰かのおかげ”って、解釈を変えれば、誰かのせい、になりかねないよねって思います。
とはいうものの、
全部自分の努力と行動力の結果だ!と胸を張って主張するのも、ほんっとうに嫌いです”(-“”-)” んなわけないでしょ!って心底思います。
・・・人間心理ってムズカシイですね( ´∀` )
家族・先祖・友人・ご近所・先生etc・・人としての存在というのは、お互いに意味があって、役割があって、影響しあっているんです。一方通行ではなく、双方向です。
だから、”みんなのおかげ”===”感謝しなきゃいけない”
という思い込みに、囚われて、苦しまないでほしいです。
家族でいがみ合う仲であっても、
どうしても馬の合わない同僚や上司がいても、
お墓参りしてなくても、
仲良くしなきゃいけないわけじゃないし、お墓参りしないからって先祖が祟ったりしません。
ましてや、ただそれだけで、カルマになったりしないから、大丈夫です。
人間関係は、双方向です。
だから、”みんなのおかげ”は、当りまえのこと。
どう頑張ったって上手くいかない関係、離れることを学ぶ関係、執着する関係、執着される関係、支配される関係、支配する関係、そういった感情的に苦しい関係は、感謝が足りないから上手くいかないんだって、世界中から言われている気がしたとしても、気にすることはありません。そういう関係があるのは、この人生で頑張って学ぼう!と魂が決めて生まれてきたからであって、自分のせいでも、相手のせいでもありません。魂レベルの”みんなのおかげ”です。
魂の成長という視点に立てば、複雑な関係を抱えていることは、たくさんの感情を経験できるので、死んだあとが楽しみな人生なのです。
・・死んだあとが楽しみと分かっちゃいても、私は、ちょいちょい、もっと人間的に苦悩の少ない、世間的な幸せに憧れるし、そういう人生歩みたかったって、ちょいちょい、思うし、神さま群にタラタラ愚痴ってます(/ω\)そうか?で、聞き流されちゃいますけど(*´з`)ちょっと話が逸れてしまいました(/ω\)
ダイの大冒険のオープニングテーマソング♪
歌詞が素敵なんです~紹介します!
私が好きなところは濃い文字にして( *´艸`)
僕が僕を愛し抜くこと なあ、まだ信じてもいいか?
どこへ向かう旅だとしても
あれ、いつからだ?本音が弱音になったな 逃げないことが強さになった
なあ、見つからない?自信じゃなく自分自身
きっとまだ探せてない忘れものがあるはず
ずっとまだ伝えてない伝えたい言葉
見ててくれるなら魅せてみせるのに
僕が僕を愛し抜くこと なあ、まだ信じてもいいか?
くすぶるのは、ちゃんと燃えたからだ
どこへ向かう旅だとしても
ただ、目を見開いて夢を見る 夢を知る
よう、生きてるかい?
ほんとの強さ きみだけが分かってればいいのさ
逃げたり傷ついた数だけ 居場所は増えたりする
見ててくれ 姿じゃなく 生き方を
僕が僕を愛し抜かなきゃ
終わらない聖者の交信、悲しみの縫い目に投げキッス
どこへ向かう旅でも行こうぜ
まだ手を取り合って
脳、映像、スカイはグレー、夜を駆ける
束の間、終幕、裏切りは愛のおまけ
かさぶたになる日々美しくはないのサ
腰に巻いた正義の切れ味はどんなだ
僕らは違う痛みを生きる
勇敢でいたい、立ち向かいたい
眠っていたストーリーを凄いスピードで覚ましたいや
僕が僕を愛せる強さを かなり愛してもいいか?
くすぶるのだ、燃えカスになるまで
どこへ向かう旅だっていいのさ いいのさ
ただ、目を見開いて息をする
生きるをする
この歌を聞くと、人としての自分が、魂としての自分に話しかけている感覚になります。
どこまでも、自分自身と向き合うための歌詞、そう感じて、聴いています。