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チルル・パワーストーンの声を聴く石屋さん

チルル

お客様からの質問に応えます

ライン

お客様からの質問に応えます

GWは、楽しく過ごせましたか?
Mumは、様々な精神的・肉体的・経験的な出来事があり、成長したように思います。

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Mumは、どうやって、今の感覚を身につけたんですか?

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何度か質問されたことがあります。
修行とか、セッションとか、そういうやつ、期待して聞かれているのかな~

やったことと言えば、
神さま的な存在を心から信じてる(でも、万能とは思っていないし、宗教は職業と思ってる)
哲学の本を読む
他人の話を聞く
Youtubeでスピ系と言われる人の動画漁り
お香やアロマ・セージなど試す
パワーストーンに興味がわく
神社に興味がわく
ヒプノセラピー受ける
タイムウェーバー受ける
etc

特に何か結果を期待して、したわけではないけども、人に紹介されたり、たまたま知ったりしたことを、縁つながりで、ちょっと気が向いたときに、ちょいちょい手を出しています。

結果として、今の私になりました。

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ひとつ確かなことは、

スピリチュアルを語る人
占いをする人
+それでご飯を食べてる人
=信用はしない

・・・あっ、Mumも視点によっては、当てはまるね?( *´艸`)みんな、信じちゃだめよ~ただのいっこの人間だよ~

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保育園児のときから、他人の心理や言動が疑問で、観察をしていました。
「なんで、そんなに必死に生きてるんだろう?」
「なにが、そんなに楽しいんだろう?」
「なんで、そんなに怒るんだろう?」
そういう風に思って
「なんで、私は、いま、ここに、いるんだろう?」
と土をいじって、空を見上げて、仕方がないから保育園の先生が求める遊びに参加していた記憶があります。

全ては、疑問に思うことから始まったように思います。
私の世界では、保育園児のときから、すでに、目に見えないものにこそ、何か重要なヒントがありました。

中学生の時に、太陽みたいな素敵な友人ができました。
その子と一番の友達になれたことが嬉しい反面、自分のことが恥ずかしいように感じていた日々の中で、
「私は、太陽みたいにはなれないけど、お月さまみたいはなれそうな気がする」
ある日、お月さまを見上げて、心に浮かんできました。
そう感じた瞬間から、当時は気が付きませんでしたが、月読様とご縁ができたようです。

そうやって、何か新しいideaを得て、何か大きな決断をして行動するたびに、新しい目に見えない縁が繋がっていっていました。

幼いころの私は、現実的に、私の心に寄り添ってくれる人はいたようには感じていなかった記憶があります。父と弟だけは、少し仲間意識がありましたが……だれも、私には本当には興味がない(今もそう思っていますね)と感じていたので、いつも、自分の心の中に、何かを見出していました。

悲しい時も、つらい時も、悔しい時も、寂しい時も、そばにいたのは人形で、その人形を通して、自分の心と会話をしていました。
生きていくためには、それ相応の解釈が必要ですから、本を読んで建設的なideaを探しました。
今でもよく覚えているのですが、初めて父と本屋に行って”好きな本を買ってあげる”と言われた時に、私が選んだ本は”イエス・キリスト”でした。キリスト教系の幼稚園に通っていたので、先生が話すイエス様はどういう人で、何がすごかったのか、どうすればそうなれるのか、知りたかったように思います。
何がしあわせで、何がしあわせではないのか、何のために生きているのか、疑問ばかりで、自分なりにそのコタエを得ようとする過程で、様々なideaに触れたり、それを自分に取りれたり、手放したり、修正したりして生きています。今も。

だから、どうやって、いまの感覚を身につけたのですか?

の問いかけには、一言では応えられません。
私の生まれた瞬間、もっと前から培ってきた感覚です。
誰かに教えてもらったわけでも、誰かが答えを持っていたわけでもありません。
自分の中にあったものを、必死で見つけ出して、ただ、取り出しています。
ただ、取り出してみて、それが心地よくなければ、こねくり回して変えています。
たまたま、出会った人や出会ったidea、たまたま、やってみたことでさえ、何か大きな意図があるんだろうと思い、意味を見出そうとする傾向はありそうです。

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私が、このブログやセッションで共有している感覚は、あくまで、私個人的な感覚です。

それが、貴方にとっての正解の感覚とは限りませんし、そもそもこの世界に正解はないのではないかな。

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全てのコタエは、自分の中にある

そのコタエは、半永久的なものではなく、変わるものだ

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この写真をみてください^^

絶景

その文字をみて、Yuは、
「自分で”絶景”って、言っちゃってるよww」
と言い、私たち旅の一行は、一通りの大笑いをしました。

お風呂上りに、Mumが、その文字をもう一度見て、気が付きました。
「あれは、あの場所に行くと、絶景がみられるよっていうことじゃない?」
よく目を凝らせば、ベンチがあります。

視点が変われば、すべてがオセロのように転換します。
絶景ポイントのお知らせと気が付いたことで、私たちは、その場所を目指し、結果として、さらに数倍の発見をし、さらに数倍の面白いことに出会い、大笑いをしました。

こういう風に、何気ない日常も、私たちが自分定義していることも、全部視点を変えればコロリと変わります。
それは、きっと、何かを疑問に感じる心から生じるのかもしれません。
意味のなさそうな、時間の無駄っぽい、めんどくさそうで、簡単に無視できてしまうような、心の疑問です。

心の疑問、心の苦しさ、心の歓び、鈍感になっていませんか?
気が付かないふりをすれば、傷つくこともないし、悲しむこともない。
たしかに、そうかもしれません。
・・で、それで、それは、あなたにとって善い選択なんだろうか?という疑問をMumは持ちます。

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質問の応えになっているかは、甚だ疑問です。(;’∀’)
でも、簡単に答えを得て、それを目標に定めて、最短距離で進むのは、学校のお勉強と一部の仕事だけかもしれない。

人生って、誰も、コタエを知りません。

そもそも、人生の最後に、どんなコタエが欲しいのかさえ、意識している人はどのくらいいるんだろう?

自分のことを、めんどくさがらないで、自分の心をめんどくさがらないで、いとおしく、大切にしていますか?

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Mumは、数日前、Yuから言われた一言で、一つのトラウマを発見しました。

トラウマがあること、過去のパターンを繰り返している自分には気が付きました。
脳がマヒして、心にピタッと蓋が閉まり、感情も無になり、食事や家事や仕事はいつも通りやっているのですが、Yuの顔は見れないし、笑う気力もわかないどころか、会話する必要性さえ感じない・・。

そんな状態の2日ほどは、瞑想をしたり、解釈をこねくり回したり、したのですが、
ふと思い立って、友人に話してみました。その友人が、教えてくれました。

ジャッジのトラウマ。

育ってくるときのどこかで比較されたり価値を貶められたり、相手のストレスの発散の
的になったり、、、と、ほんのちょっとのずるい一言で生まれてしまうものだそうです。

おぉ、私は、親からも親戚からも先生からも、いつも比較され続けて、生きてきた人ですよー。
心当たりは、大有りです。だから、私自身は、他人とYuは比較しないよう(なるべく)気を付けていました。

解決志向アプローチの理念を教えてもらい、そうだそうだ、それだ!と、心が反応。
さっそくアドバイスされた方法で、向き合うことから逃げ出したい自分を制御しました。

《解決志向アプローチ》
・原因や背景を追及しない
・どうすれば解決したかの方向に焦点を当てる
・行動(変化)を起こすことで解決につなげる

トラウマが再現したのは、Yuの言葉が切欠だったので、Yuと話をしました。

それを言われて、こういう風に感じて、思わず心に刺さって、脳がマヒして、心が閉ざされた。
でもそれは、ジャッジのトラウマで、そのトラウマはこういうものらしい。そのトラウマのおかげで得たものもあるから、私はそのトラウマの原因や背景は追及しないことにする。今回も、はじめは過去と同じ反応をしてしまったけど、それを変えたいから、またYuと話すことにした。今回のことを解決しようと思って、こうやって、いつもとは違う行動をしてみた、といったような説明をしました。

Yuが「それは、なんか・・ごめん」というので、
「いや、全然いいよ、おかげで気が付いたしね。気を付けないといけないことあった。でも、本当は、言った言葉と、言いたかったことは別のことでしょう?だったら、言いたかったことをそのまま言ってほしかった。ジャッジのトラウマって、多かれ少なかれみんなありそうだね。Mumも、Yuにやっぱり与えてるかもしれないなぁ。」
ちゃんと勇気を出して、話をしたことで、様々なことが好転すると思います。
Yuにとっても、意味のある出来事だったように思います。
自分が認識できる以上の変化をもたらすポイントにいるような気がしました。

幼いころから抱えてきたジャッジのトラウマのおかげで、私は強い意志で何かをやり遂げることができたのかもしれませんから、トラウマが悪いわけではないと思うけども、そろそろ少しずつバイバイできるタイミングに到達したから、表面化してきたんだなぁと思います。超ラッキーでした。

アドバイスしてくれた友人が返信をくれたのは、夜中の1時でした。
とても忙しい人なのに、心を割いてくて、その愛に私の心は反応しました。心から感謝。

辛いこと、悲しいこと、トラウマ、悔しいこと、恨み、それらは、一旦保有していることを認めてあげることです。
その後で、それまでとは違う選択をしてみる。
いざとなると、私はこのブログで書いておきながら、すっかり忘れてしまいました。
でも、世界はパーフェクトなので、私にはパーフェクトなタイミングで、ベストな援けが与えられました。

必要なものは 必要な時に 必要なだけ 与えられる

ではでは、またね(*’ω’*)