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チルル・パワーストーンの声を聴く石屋さん

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自分に善いことをする! 他人にとってイイひとでいる必要はない。

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自分に善いことをする! 他人にとってイイひとでいる必要はない。

雑談

前回のブログで、スピリチュアルは自発的な行動への勇気づけを援けるの続きみたいな感じです。

3次元の世界で、スピリチュアルであるって、まず、何から始めれば良いのでしょうか?

私は、”自分を好きになること” と思っています。
これは、私が生きていくために見出し経験したことです。

そのために、自分にとって善いひとで、いてください。


みなさんは、何かを選択するときに、
自分にとって善いことを選択していますか?

逆説的にいえば、何かを選択するときに、
他人にとってイイこと、他人が喜ぶこと、悲しむことを避けること、希望に沿うこと、怒らないこと、を選択していませんか?

私は、本業が国家資格あるお金の専門家で、その肩書をとりあえず皆さん信用してくださって、財産状況や金銭の動きを開示されます。老若男女、あらゆる職業・無職の方、あらゆる精神状態の方から、相談を受けます。私がお金を使って手に入れた知識や経験は、対価をいただいて提供していますが、与えられた感覚や感情やスピリチュアルなことは、ごく自然に雑談の中で無償で必要な時には提供します。無償で提供したことは、巡り巡って、私への信頼や価値になるようで、お金につながることもあります。スピリチュアルとお金の関係って、そういう感じだと私は感じています。

さて・・みなさん、お金について悩みがあるので、私に相談されるのですが、話の7割は、その人の人生や考え、感情、家族、親族、友人、についての情報です。家族に話せないこと、友人に話せないことを聴くことは、日常茶飯事です。
お金で悩むということは、スピリチュアル的な課題を抱えていて、その課題を解消することが、必要です。
私がサポートすることで踏み出せる段階にいる方もいれば、ただ心に刺激を与えることだけが私の役割である場合もあります。

精神科医で心理学者のアルフレッド・アドラーが、『すべての悩みは、人間関係の悩みである』と提唱したことは、有名です。
彼は、”課題の分離”という概念を私に教えてくれました。

出会ったのは、NHK100分de名著、です。この時の書籍が本当に秀逸で、当時何冊も購入して、周りに配りました。
この本は、私が当時持っていた考えや概念や感覚にとても合致するもので、それでも周りから責められ冷たいと言われ悩むことも多かった私に、”ありのままの自分でいたい”という自分の欲求を認め追及することを肯定してくれている気がして、勇気をくれました。


NHKでアドラーを紹介された哲学者の岸見一郎さんの他の書籍もたくさん読みました。『嫌われる勇気』大ヒットしましたので、読まれた方も多いのではないでしょうか。実践はできていますか?
たくさん読みましたが、NHKテレビテキストの書籍が、わかりやすく、実践しやすく、一番のおすすめです。


私は、当時、何十回も読みました。Yuとの関係で悩んだ時にも、親との関係で苦しかった時も、仕事の人間関係に限界を感じた時も、まずやったことは、この本を開いて読むことだった記憶があります。
残念ながら、当時の書籍は、もう手に入らないようです。その後、NHKで何度か再放送されているようなので、最新の再放送の時のテキストなら手に入るかもしれませんが、テキストの内容が同じかどうかはわかりません。放送自体は、私は2回見ただけで、あとは本に没頭しました。

名著51 アドラー「人生の意味の心理学」:100分 de 名著 (nhk.or.jp)


殆どの場合、解消方法は明らかなのですが、本人が一歩踏み出せない、チャレンジできない、離れられない、そういった行動できないことが原因で、事態が膠着し、同じお金の悩みが続いています。動き出すには、動き出せない人それぞれの経験や理由や感覚があるので、それを無視して、一つの方法を提示し、”こうすればいいんだよ”とアドバイスすることは簡単ですが、それが出来なくて悩むことになるので、その部分をどう扱えばいいのか、それが現実を変えるポイントなんですよね・・。

アドラーは、こうとも言っています。
『人は誰もが同じ世界に生きているのではなく、自分が”意味付け”した世界に生きている』

人は誰でも、自分が意味付けした世界に生きている・・!!
ものすっごく心に響きませんか?!ガッツーン!!って。
つまり、自分次第で世界の見え方が変わるってことです。

すべての出来事に対する意味付けが、自分の見ている世界を変える、ということに気が付き、アドラーの”課題の分離”、これに真剣に取り組むと、人生は善くなる、自分にとって善い自分でいられる、何が起こっても、何を得ても、失っても、嬉しくても、悲しくても、楽しくても、苦しくても、全部のことが自分の手の中にあり、自分のしあわせは自分次第にすることができます。

偉そうに書きましたが、私はそう思って、何かあれば、自分にとって善い”解釈は何かを考え”、”課題の分離”の概念を思い出し、”いまの自分に何ができるか、何を選択するか”を心に問いかけています。

”善い”ってどんな状態や選択なのかを、このブログで定義することは、できません。

それは、学びの段階によって、”善い”と感じる世界が、異なるからです。
あなた自身が”善い”と思う選択をするだけです。
スピリチュアルの世界で、ジャッジしてはいけないって言われますが、その理由は、”善い”が人それぞれ、自由だから、です。
私はそう解釈しています。


人が悩むのには、パターンがあるので、自然と私が伝える言葉にも、パターンがあります。
その一つが、
『自分にとって善いことをすればいい。他人にとってイイひとでいる必要はない』ということです。その意味するところも、詳細に、具体的な例を挙げながら説明しますが、中には、こう答える方もいます。
『私が、両親が喜んでくれた方が、うれしいから、これが自分にとって善いことだ』
というような系統の答えです。

みなさんは、わかりますか?
『私が、両親が喜んでくれた方が、うれしいから、これが自分にとって善いことだ』
このたった一言のなかに、これを言った人の課題が浮き彫りになっています。

分かる人は、その課題はクリアーしたか、これから取り組むかした方だと思います。分からない人は、まさに同じような課題の渦中にいるのかもですね。

両親が喜んでくれた方が、うれしいから=他人軸
他人の幸不幸➡自分の幸不幸


一つの例ですが、他人にとってイイひとでいることが、自分にとって善いと思っているパターンです。

他人軸って、どういうことかというと、ひとつの捉え方としては、”課題の分離が出来ていない”ということです。

いちおう、1回くらいは、そうじゃないんだよ、と説明します。
そうすると、中には、こういった一言が返ってくることがあります。
『責められると辛いし、苦しい、穏やかにいてくれれば、自分も穏やかに暮らせるから、楽だし苦しくない、私はそれがいい』

このパターンも、本当に多いですね~

他人の幸不幸➡自分の幸不幸 ✚ 自分の幸せをあきらめている(=現状維持の思考)

こうなってくると、まず、自分の幸せをあきらめている、そのことに気が付くことから始めなきゃいけません。これは結構な難題です。本人は、ほぼ無自覚です。
他人の苦しみや悲しみを減らしてあげる行動をすれば、私たちは人としてGOODと教育されて大人になりました。そのため、人を助けることは、自分にとって善いことだという信念を持っています。その信念は、邪魔です。他人から求められていた助けを断れば、責められ、それに耐えかねて、すごく悪いことをしている気持ちになります。自分は不幸だって思いこむこともあるでしょう。自分を援けることが、まず大優先。みんな、自分が選択したことの感情を経験する権利があります、悲しむことも、苦しむことも、死にそうなことも、全部です。

しあわせは、苦しくない、辛くない、責められない、そういうことじゃないです。
不幸といわれることにフォーカスして、反対言葉として、しあわせを定義すれば、〇〇でないこと、になってしまうけど。

私の意味することが、伝わりますか(*´ω`*)?説明むずかしい。

このことを、軽く伝えてみると、返ってくる一言もパターンがあります。
『周りの人が、しあわせなことが、私にとっても幸せだ』

思考のエンドレスです、デフレスパイラルみたいな。
誰しも、この思考は持ち合わせていると思うので、鉄壁の回答です(*´ω`*)私も何年かは”周りの人の幸せ=自分の幸せ”で生きる経験をしました。

自分が他人の幸せを担うのは自由ですが、逆にいうと、他人へ自分の幸せを担わせちゃってるんですよね(;´・ω・)
他人の上に、自分の幸せがあるって、私たちの環境や人間関係は日々変わるので、そのたびに自分の幸せも変わっちゃっいます。
あの人がこうしたから、こう言ったから、状況がこうだったから、もしこうだったら・・・自分ではコントロールできない部分に、自分の幸せを委ねてしまうと、本当の幸せは、自分の中にあることを思い出すまで、幸せを外に探す旅が続きます。

しあわせの定義は、人それぞれ異なるので、誰かのしあわせを、代わりに担うことはできないはずなんです。
自分だけが、自分をしあわせにしてあげられる。


客観的に、このブログで読んでみると、みなさんはお気づきですよね?
悩むひとつのパターンは、
他人にとってイイひとでいようとする人生の選択をしているから、です。

『じゃあ、あなたが幸せなら、周りの人も幸せなんじゃない?』

というのが、さらなる私のideaです。

自分にとって善いひとでいることは、自然と他人をもしあわせにする。

これは、真理だと私は思っています。

じゃあ、
『あなたの幸せって、なに?』


自分のしあわせについて深く内観することは、とても勇気が必要です。
深く、深く、他人と自分の課題を分離して、自分に集中して、心に集中して、内観してみる時間こそ、魂の声を聴くということにつながります。
魂の声も、外側にあるのではなく、自分の内側に”すでに在る”のですから、気が付けば、思い出すだけです。


この3次元に生きる人にとって、頭の大部分を占めるものは、突き詰めてみると、”愛”と”お金”と思います。
この二つは、どちらも大切で、一方はスピ系、一方は3次元的な課題だと思っています。
そして、ほとんどの人が、どちらか片方の課題に重点的に取り組んでいて、お金の土台を築きながら、自分の存在・魂を成長させるべく、バランスをとって両輪のように生きることは、思うより難しいみたいです。

スピリチュアルに傾倒する人の中には、”自分の”お金に関する分野が苦手・・という方がいます。
その理由は、困難や悩みから目をそらすために、スピリチュアルに傾倒することもあるし、比較的次元の高い魂であるために、お金に価値を見出せず、稼ぐという熱意がわかないこともあるし、スピリチュアルに生きているつもりでも、行動が伴っていないこともあります。

一方、3次元的に生きている人が、お金に関する分野が苦手な場合には、いつも”お金が足りない”という執着にも近い感情を持っている場合があります。
お金が足りないという感情は、尊重され、お金が足りない状況をプレゼントしてくれます。それは、この世界の法則です。
中には、めっちゃ稼ぐのが得意でお金持ちになる人がいますが、3次元の視点だけで生きていると、得意なお金へのアプローチで3次元的な幸せを得ようとするので、何か心が満たされない、虚しいなどの感情に苦しむことになります。

バランスをとるのが難しい理由は、たぶん、スピリチュアルの感覚で、現実を生きることが必要だからだと思います。
目に見えないものの感覚で、いま、を生きる
難しいので、わたしも、すぐ忘れて、3次元の脳みそで未来を想像して、過去を分析して恐れて、いま目に見えるものだけが現実で、ちょっとした不安と絶望を抱き、とりあえず、やらなきゃいけないことをする生活をしてしまいます。
そうではなくて、
スピリチュアルな感覚で未来をぼんやり思い浮かべて、学び終えた過去は消化し、いま必要なものは既に与えられているということを思い出して、心が欲する未来の感情を心に抱き、その未来の感情で、いま、することに集中するんだ・・未来の感情に必要のない感情が巻き起こる物事は必要ないことか、解釈を変えた方がよいことか、対応を変えた方がよいことなんだ・・と、多いときは、1日に2~3回も思い出すようにしています。

皆さんの周りに、金銭的にも精神的にも満たされているように思える人が複数人いますか?
いれば、是非親しくお話をしてみてください。その人たちの傾向がわかります。
おしなべて、本人は無自覚にしろ、スピ系の概念がお金にも浸透しています。バランスよく。
そして、みなさん、自分を大切にしています。
他人の前に自分。
自分が幸せであれば、周りにもその幸せは波及する。
自分が自分を好きでいることが、他人にも好きになってもらう大前提だ。
そういう概念が、根底に流れているのが分かります。
パワーストーン好きだったりしますよ( *´艸`)


チルルのロゴ、これは私の心の中にある風景を文字にして、デザイナーさんに絵にしてもらったものです。
そのデザイナーさんが、夏目漱石好きで、教えてくれました。
夏目漱石も、石好きだったんですよ、って。
”I Love You”を”月がきれいですね”と訳したという逸話が有名で、私はその感覚が大好きで、お月様も大好きなので、とっても嬉しかったです☆彡


私は、チルルを運営していますが、めっちゃ現実的な人です。

現実が自分にとって好ましい善いものであるために、お金を稼げるようになり、自然とスピリチュアル的な感覚や概念を持ちました。

その過程で、胡散臭いと心底思っていたパワーストーンを手にし、とても援けられることに驚き、いまでは、パワーストーンのサイトを運営しています。

心理学や哲学の本は好きですが、スピリチュアルなことは、胡散臭いので避けていました。

でも、今では、スピリチュアルな記事を書いています。

頭では想像していなかったような未来を、いま、生きています。

頭は、未来を創造する役割は担っていません。それなのに、私たちが、脳に担わせてしまっているので、本来の役割外のことを与えられて、脳は、負担になり不安になっているわけです。”ぼくには無理だよ~ぼくの役割は未来を想像したり創造することじゃないんだから~涙”と、訴えています。

魂(心)に従って、生きるを経験してみませんか。
もし、何をしても、いまが苦しいのなら、頭に従って生きることを止めてみませんか。
一歩踏み出すには、未来は不確かで、足元も見えず不安で、とてつもない勇気が必要かもしれません。
でも、一歩踏み出してみれば、自分が変わり、それにつれて、少しずつ現実が変わっていきます。

これは、私のideaの一部です。

20代のころ、毎日生きているのがつらくて、でもYuの笑顔が救いで、彼に幸せになってほしくて、そのために、私がまず幸せを感じる必要があると気が付き、そのために、<自分を好きになろう>心に誓った日々。
どうすれば、自分を好きになれるかなって、考えました。

それまでの人生、人を傷つけないこと、苦しめないこと、それを避けるという選択で生きていましたが、それに追加して、周りの人の素敵だなと感じることを真似することから始めました。

とても時間がかかりましたし、
『オリジナリティがなくて、面白くない』って言われたこともあります。それでも、『わたしは、みんなの好いとこどりの自分でいい』と言って、真似を続けました。
コンビニアルバイトの面接で、笑顔のテストみたいなものがあり、最低の評価を得て、笑うことが怖くなった数年後、とても笑顔の素敵な友人ができて、そうなりたいと思い、30代で歯の矯正をして、今では友人のように心からの笑顔でいる自分になりました。

『みんなの好いとこどりの自分でいい』今でも、そう思っています。でも、この頃は、周りから”才能があり、特徴がある””才媛タイプ””破天荒”といった風に言われます。
みんなの好いところを寄せ集めていくことは、私にとって、自分という存在を確かめる作業だったんだ、と気が付きました。

そして、いま、こうしてブログで自分の感覚や考えや経験を紹介する私を生きています。

人生のターニングポイント、この言葉は、過去に変わるタイミングがあった、ということです。
その変わるタイミングは、自分で見つけて創り出せます。ひとつ変わるごとに、人生のステージは変わります。

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