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チルル・パワーストーンの声を聴く石屋さん

チルル

正論は、唱えよう。共感は、必要ない。

ライン

正論は、唱えよう。共感は、必要ない。

雑談

こんにちは!!
今週は、祝日が2日もありましたね~皆さまはリフレッシュできましたか?
私は、本業の仕事が立て込んでて、充実した1週間を過ごしました( *´艸`)

一方で、ブログに次に何を書こうかな~という気持ちを心の片隅に置いたまま過ごしていました。

今朝、インスタグラムを見ていて、たまたま目に入ってきた記事
『正論は言ってはいけない。必要なのは共感』

見た瞬間、心が動いたので、ブログにしています。

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チルルMumのidea

正論は、存在しない
共感は、必要ない

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Yu『ブログ、なに書くの?』

Mum『正論と共感』

Yu『Mumって、正論しか言わないよね』

Mum『正論?Mumが言ってるのは自分の想いや考えで、それが正論とは別に思ってないよ』

私自身は、1%も自分が100%正しい(正論)と思っていません。自分の想いや行動の基準を伝えたとき、その内容を他人が勝手に”正論”と分類しただけです。

正論というのは、存在しない。
ただ、自分が、このideaはステキだなと感じたことを、受け容れて、行動に活かせばいいだけ。それが、正論かそうじゃないのか、そんなのは、”どーでもいい”と思っています。

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”正論”という言葉、私はニガテです。

人生の中で、何が正しくて、何が間違っているのか、
何が善くて、何が善くないのか、
どうして、私に分かるの?あなたに分かるの?

『これは、正論だね。』そう思った瞬間に、自分自身の中に、新しい信念が生まれそうなので、私はこの言葉を、使いません。

でも、このブログでは、正論について、書きます。
正論とは、多くの人が、事実に関する認識として、道理(人)として正しいと判断する意見のことであって、多数の人にとっては現実に選択することが難しい、不可能だと思われる意見のこと。このブログでは、そういう風に定義しますね。

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誰かに『正論だね』と言ったことがありますか?

Yuは、正論だねというとき、わりと、ポジティブな雰囲気で言います。
『あ~正論と思う、そうできればいいんだけど、できないんだ~~あ゛~どうしたらいいんだ~!』みたいな?

ネガティブな意味合いで使う人もいます。
『はいはい、あなたの言うことは正論だけど、出来ないよね?あなたには出来るかもしれないけど、私には無理』そんな感じ?

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正論を唱えよう。

私の中で、正論は、自分の人生にとって善いもの、他人の人生にとっても善いもの。

もしそうであるなら、正論は唱えるべきで、そう在ることを目指してみる価値あるものではないですか?

『正論は人を傷つける』『正論は言ってはいけない。』そういう風に言われることがあります。
どうして??? 素朴な疑問です。

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本当に、正論は人を傷つけるのか?
Mumのideaは、Noです。

相手を傷つけるのは、正論(内容)ではなく、自分のidea以外は間違いだと決めつけて、相手のideaを否定する行為だと、私は考えています。

自分のideaを伝えた後、それが如何に正しくて、試す価値があるのか、説明するのは、構わないと思う。そういう風に教育する社会だし。
でも、相手が異なるideaを言った場合に、それを否定したり、自分のideaと比較して、自分のideaの方が優れている理由を説いたり、同意を強要したりすることは、違うかなと思います。
その行為は、相手にとっては、否定されていることに等しく、相手を否定する行為は、自分の課題であると知ることが必要です。
かくいう、Mumも20代の頃、やらかしていました・・ごめんなさい、当時の方々・・。

私は、周りから正論しか言わないと思われているのかもしれませんが、
自分自身は、それが私にとっての信念で行動基準。当たり前に、いま取り組んでいることです。本業のクライアントにも、遠慮なく、ideaとして伝えますが、争いになったことも、契約打切りになったこともありません。クライアントも、ideaを教えてくれるので、二つをミックスしたりして、楽しんでいます。みなさん、新しい視点だ、そう仰って、私も自分とは別の視点を学んでいます。
同じことを伝えても、クライアントのように新しいideaとして面白がってくれるのか、正論・理想論だと拒否したり、批判されるのか、それは、私ではなく、相手次第。相手次第なことは、相手の自由です。私も、他の人が、別のideaを持っていたり、行動を選んだとしても、自分にとっての正義を振りかざして、その自由を侵害することはしないよう心がけています。正義を振りかざされることもありますが、思う存分してもらって、気が付かぬふり、そっと離れます。

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誰かに『あなたの言うことは、正論だ』と拒否感をもって言われたことがありますか?言われちゃうと、自分のことが否定された気がして、心が塞がってしまいますね?
でも、実際は、そういった相手が自分自身に『この方法は善いよ、試してみる価値があるよ。でも踏み出すのは怖いね?リスクだね?』と問いかけているだけです。あなたは『あ、この人には、それを選択できない理由があるんだな』と思って気にしないことです。

正論は言ってはいけない、人を傷つける、そう思って蓋をしてしまうと、自分の中で本当は大切にしたいideaを言葉として表現するという機会が減ります。それは、とっても、勿体ないです。

他人から”正論”と言われようと、あなたが一生懸命取り組んでいる信念であれば、隠したりしないで、堂々と、発言しましょ!!
私は、そうする勇気を応援します。

ぶっちゃけ、相手が傷つくか否かを気にしていたら、あなたがすごく生きにくいです。
そして、傷つくことを気にする方が、相手を傷つける、そういう気が私はしています。

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『正論だね』

自分の想いや考えについて、そう評されたら、そっか、この道でいいんだ、そう思って、あなたは前に進みましょう。

言った相手は、もしかすると、拒否しているのかもしれません。
どうして拒否するのか?別の選択をしているからです。気にしない×2。
それは、あなたの問題ではないから。

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そういう風にしていると、今まで友人であったと思っていた人が離れて行ったり、家族との関係が変化したり、軋轢のようなことが起こるかもしれません。
それでも、メゲナイで、続けていけば、あなたは、新しい同じ思いや考えを持つ人たちに囲まれることになります。
この変化は、あなたの人生そのものが変わり始めたということです。

友人が変わるということは、とてもポジティブなこと。
人が離れていくことを恐れないで、引き留めないで、自分からも離れて、新しい出逢いが入ってくるスペースを空けましょう。

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正論だね、理想論だね、そういう風に言われたら、明るく『うん!目指してるから』と言って、堂々と唱えましょう。

もし相手が食って掛かってきても、口論する必要も、議論する必要もありません。そっと、引き下がりましょう。そして、距離を置きましょう。
その相手は、あなたにとっては、もう今は、学びを終える段階の人間関係です。新しい出逢いの為のスペースを空けましょ。

自分が選択したい信念や考え・行動を、他人の希望や機嫌のために諦める・変える人は、驚くほど多いです。
心当たりあるますか?私もむか~し、そういう経験はいっぱいしました。今も、ときどきしちゃうかな?
そうすると、悩んだり、苦痛だったり、体調崩したり、善いようにはならない。
やっぱり人はみんな、自分の心に沿った選択をしていくこと、魂が求める光の世界は、その先にあるんだなと感じる経験です。

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正論を言うな、その代わり、共感せよ!!

日本の社会に耳を傾けると、聴こえてきそう。

私も、母親から耳にタコが出来るほど言われ、責められましたよ。その度に、お母さんの気持ちも分からなくはないけど、相手の気持ちも分かる。だから一緒になって、誰かの悪口を言ったりすることはできない・・そう子供心にいつも思っていました。

共感するということが出来ない人っているのでしょうか?

みんな、共感できる心は持っているけど、分かるけど、自分はその選択肢をしないから口先だけで慰めたり、同意したりしないだけじゃないの?

と、私は思うのです。

共感が欲しいときって、自分に言い訳が欲しいときの気がしています。自分の感情を分析してみる限り。

ポジティブな気持ちの時って、共感は必要ないかな?
何かをチャレンジしようとするとき、後押ししてほしい、応援してほしい、認めてほしい、そういうのは共感ではなくて、承認欲求。自分で自分を認めてあげる練習が必要です。

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共感してほしい人は、味方が欲しい。
自分が正しい、間違っていない、と思いたい。
心が弱い。

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共感しないということは、自分の心を護る一面があります。

他人の愚痴や悩み、苦しみ、共感するという心の動きは、自分にもその出来事を許可するという意味を持ちます。宇宙の法則。

もし、共感を必要としている人がいるのであれば、その気持ちを理解しながらも、自分が共感できる視点を描いてみせることです。

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例えば、ちっちゃな話で・・・彼氏が浮気して、すごく怒り心頭、別れて正解!という愚痴に付き合わされた時。

共感して、元彼氏の悪口を言ったり、もっといい人がいるよと慰めたり、そういうのは、誰でもできます。
でも、本当にその彼女が必要としていることは、そういう共感じゃない。彼女の心はどんどん沈んで波動が下がります。
私なら、どんな人と付き合いたい?何したい?と妄想を膨らます手伝いをして、その人に出会ったとき、今の自分でOK?と聞いたりします。

※ちなみに、こういうことしてると、ただ共感してほしいだけの人からの相談は来なくなります(*‘ω‘ *)!

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正論と共感

何が正しくて、何が善いかなんて、私たちには分かりません。

正論も共感も必要のないという認識の中で、あなたが自分の信念を大切にして、自分で自分を認めてあげて、自分以外の人には、寛容でいる

何かを決めたり、何かに同意したり、そういう行為は、少しずつ自分の中の信念になって、その信念は、自分の人生に大きく影響していく

自分に寛容でいるためには、感情や選択の正解や正義を決めつけず、大気のように軽く流動的でいることが、善いかなというideaを私は持っています。

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ひとつの言葉を紹介します。

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強くね、強くね、強いのは、

優しいんだよ。

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この言葉は、私が私を応援する時に、心に思い浮かべています。

勇気が湧いてきます。

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ブログにするのは難しかった~
必要な人に伝われば、それで、いっか(´▽`*)

 

 

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