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チルル・パワーストーンの声を聴く石屋さん

チルル

前世の自分と後世の自分

ライン

前世の自分と後世の自分

雑談

まめきちまめこニートの日常 Powered by ライブドアブログ (blog.jp)
のコマ漫画が好きで、インスタで定期的に読んでいます。

目にしたタイトル「まめこ、占いで数々の前世が判明してしまう」編。

またまた面白すぎる内容でw
https://www.instagram.com/p/CjozY2JpIhB/?utm_source=ig_web_copy_link

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チルルのブログに遊びに来てくれてる人も、自分の前世に興味ある人は多いかなって思います。
前世の自分(?)が、今世の自分に大きく影響をしていることは確からしいし、主護霊などになっているケースも多いです。

そうではあるけれども、知らなくったって、大丈夫なのです。

まめきちまめこさんの例のように、知ったからって、なんのこっちゃない、別に人生に何の影響も与えない(むしろ、凡ミスで死にやすいって、不安になるだけで要らん情報w)

Mumの過去世には、頭にターバンみたいなの巻いた男性で、財務のエキスパートだったらしいし、そういう感覚がある友の情報では、その友がどっかの国のお姫様だった時に、やっぱり財務のエキスパートだったっぽいんだけども、それを知る前に、Mumは既にやっぱり財務に関係する資格取ってて、数字の羅列が好きで、電卓好きで、別に過去世を知ったから今があるわけではありません。いかにも意味ありげな前世に思えたとしても、知らなくっても、知っていても、関係ないんだよね・・。
自分が意識しなくても、根底で流れているものに、惹かれるものに、こっちが好いんじゃないかなって根拠なく思う方に進んでいれば、結果、ずっと積み重ねてきたものが活かされたところにいる‥同じじゃないかな。

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たとえば、何か苦しいことがあるとき、もしかして、前世からの持越しかな?というような感覚があることも。

そんなとき、前世を知れば、意味があるんじゃないか、と考えるかもしれない。
中には、”前世からのカルマなら仕方ない(諦め)”の理由付けのために、知ろうとするパターンもある(*_*)
知ることで、”効率よく”対処できるかもしれないという気持ちがあるかもしれない。
Mumの感覚では、知ったからって効率よく対処は出来ないかな。ただ、「一緒にがんばって、乗り越えようね、そして、こういうことを経験しようね」と過去世に声を掛けてあげると、その過去世の自分が軽く明るくなって今にいい影響がある気がします。それは、過去世がどんな自分か具体的に知っている必要もなくて、ぼんやり、そう思うだけで効果があるんじゃないかな( ˘ω˘ )

よくよく考えてみれば、他人に前世は〇〇だったよ!と教えてもらったとして、それが真実か否か、自分で確認が出来ないのであれば、ないのと同じじゃん?
もしくは、自分が何となく想像してみた「男性かな?」「女性かな?」「何歳かな?」というイメージと、何ら変わらない精度じゃん?
そうだとすれば、もし、前世を知りたいと思うのであれば、自分で、そっと心が静まったときに、「いまの私に一番影響を与えている過去世はだれ?」と自分に尋ねてみるといい。
きっと、なんでだか分かんない根拠もない光景や音が、ポンッと浮かぶと思う。

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インナーチャイルドや過去世は、自分とは切っても切り離せないので、もし過去に留まる存在がいれば、いまの自分が手を引いてあげたい。
って、ブログに書くと、そういうことしてくれるヒーラーさんとか霊媒師さんとか探し始める人がいそう。

「カルマは、本人にしか、解消できない」

このブログの愛読者の方は、何度か目にしたことがあるはず(*’ω’*)

過去世の自分が、その過去世での苦しみや悲しみなどを持ったまま支援者に入っているとき(多くの人に、そういう存在いると思う)、その支援者は、あなたを導く中で、そのカルマを解消することを目的としています。だから、あなたは、必然的に過去世のカルマを解消するための経験をすることになる・・過去に留まる存在(前世)があるのであれば、手を引いてあげられるのは、自分だけです。他の過去世も協力してくれるでしょう。また、インナーチャイルドは、逆で、後世へ持ち越す可能性のあるカルマです。カルマなので、自分で解消するしかない。持越しにしても、いいし。

カルマの解消は、難しいor無理だ、といった価値観を持っていたり、そのためには凄い優秀な霊媒師を探すしかないという価値観を持っている人が居ます。

カルマの解消は、
「一緒に、頑張って、解消しようね。大丈夫だよ!」と、いまの自分が、新しい選択をしてみる、行動してみる、ことで出来ます。

解消するために、生まれてきているので、解消することは出来るはずなのです。
他人に”カルマ解消しますよ”と、何かしらをしてもらって(証拠はない)、何だか軽くなった気がして、スッキリした気がする。そういう人の話は聞いたことがあるけど、それで、その後の人生が好転したというのを目撃したことはない(あるのかもしれないけども)。

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カルマの解消というのは、過去世の自分にフォーカスしているので、どうしても、前世が気になっちゃう。でも、Mumは、後世を気にした方が、建設的だよなって思っています。

次の自分、どういう存在でいたいのか、また人間をするのか?人間をしないなら、どんな存在になるのか?それにフォーカスして、後世の自分に、もっと軽い自分でバトンタッチしたいな。

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過去世、インナーチャイルドは、自分で迎えに行ってあげて、”だいじょうぶだよ” と手を引いてあげることをしてみるといい。

けども、”先祖については、手を引いてあげる必要はない”というのは、Mumのidea。
先祖供養という言葉があるけど、儀式的なことして素直に供養されてくれる存在なら、とっくに供養してます(*’▽’)と思う。
この地球で、生きていたときの自分で、未練的なことがあるから、供養しないで、生きていた時と同じような価値観で血の繋がりある人間は自分と似てる理論で、なんとかやり直そうとしている存在感・・・(Mumのideaです!)わざわざ、手を引っ張ってあげて、救ってあげようとしなくったって、いいんじゃないかな。それより、諦めて成仏してくれ、その意識を手放せばもっと自由になれるよ、と思ふ。だから、敢えて、無視することが、あなたと私は違う存在で、あなたはもうこの地球では肉体を持って生きていないし、他人を通じてやり直すことも出来ないし、を知らせることになって、新しい選択のお手伝いできるのかなって。と、善意の人っぽいこと書いたけど、Mumの場合は、自分のために、自分の選択として、関わらないことにしてる。

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生きている人に対しても、先祖に対しても、どういうスタンスをとるのかは、自分の人生にとって大きな分岐点だよね~。

例えば、自分に対して、結構辛く当たってくる人がいたとして、その人に同情したり、共感したりできるポイントを見つけるのは容易いかもしれない。
そして、その人の立場でその人がする態度や選択を見つめると、自分に対する仕打ちは許容できるかもしれない。そういう能力は、子供の頃からの生存本能と教えで、育まれてるし。
しかし、果たして、そういう風に物事を多角的に捉えることで、自分が虐げられたり、傷つけられたりすることを、なんとなく慰めることに意味はあるかな?
もし、そういうことしているとしたら、きっと幸せにはなれないとMumは思ふ。
我慢する理由、傷つけられる理由に知恵を絞り、謎の納得するのも一つの生き抜く方法だけど、フォーカスしているのは、相手の人生や相手の満足感なので、自分はいつも満たされず、でも何が自分の望みなのかも、自分とはどんな存在なのかも、じわりじわりと、気がついたら分からなくなっているような・・。

相手が生きてる人間だろうが、霊と呼ばれる存在だろうが、優先するのは、《自分を大切にするスタンス》。
Mumは、真に自分を愛する選択は、どんな批判にさらされたとしても、どんな風に評価されたとしても、数年後か死んだ後かは分からないけど、巡り巡って、関わる人たちにとっても愛ある選択になると信じて、いつも《自分はどう在りたいか》に嘘をつかない選択をしたいと心掛けています。
生きるとは、自分を経験することで、他人の思惑や幸せのために自分を犠牲にすることではないよね??きっと。

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なんだか、気になっちゃったので、ブログにしました。Mumのideaです。

自分を表現してみたら、批判をされたり、友達いなくなったり、そんなことがあるかもしれない。
そんなのは、一時的なもので、あなたの存在を脅かすものではない。

嫌われたくない、こんな風に思われたくない、そういうスタンスは、自分を《自分ってなんだっけ・・》《なんで生きてるんだっけ・・》の迷宮へ送り込むような選択だと思っています。そんなとき、手を引いてあげる必要のない先祖や生霊と言われる存在は、喜んで、あなたのことを援けてくれるかもしれない。

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支援者というのは、あっという間に、入れ替わります。

どんな支援者が入るかは、魂の計画と、自分の選択次第です。

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余談だけど。

昨夜は、病院で寝たきりの父に、YuとMumのアルバムを作成しました。
いまはもう、ベッドの上から起きるための生きる気力もない様子だけど、定期的に送っている娘と孫の写真は大切に楽しみにしてくれているとケアマネージャーさんが教えてくれました。姉は、父のことを恨んでいて行方不明ですが、私は父が父なりの愛情を充分にくれたと思っていて、感謝もしています。アルバム送るくらいしか出来ないけど。同じような出来事があっても、解釈が違えば、選択が違う、幸せの定義も違うと、実家の家族は教えてくれました。
父は、私とYuが、お金に困ることなく、Yuは勉強をして、新しい経験をして、幸せに過ごしていることを、純粋に悦び願ってくれます。自分は寝たきりで、辛い状況なのに、それが出来る父は、本当はとても愛溢れる人だと、私一人だけは思っています。いまは、とっても便利で、写真に色んなコメントを書き込めるので、どんな風に感じたか、何が新しい発見だったか、どんな偶然でラッキーがあったか、そんなことをシェアしています。

夜の10時に思い立って、カメラのキタムラでアルバム制作始めて、レイアウト等が完成したのが夜中の2時。
今日は眠い中、仕事も頑張りました!!

出来上がったアルバムは、着心地がいいらしい介護用パジャマと一緒に、郵送する予定です。
治療法がなく、入院している病院を、来週には退院しなきゃいけないけど、自宅療養はもはや無理らしく、とても評判の悪い老人施設に入所することになった父。
施設の人が、入所前から症状は悪化するって、私に連絡されてきたので・・
「もっと出来ることはないか」と悩もうと思えば悩めるし、罪悪感を感ることは容易い。
その容易い感情に留まることを選ぶのか、そうではない自分でいるのか、選ぶのは、自分次第。
こんな時の私の解釈は、ある視点からすれば、とっても自分勝手です。
「父の現状は、父にとって必要なのだろう。だから、父が選択したことで、悩むことも、罪悪感も、感じる必要はない。」「私は、沢山父に助けられて生きてきたことは事実だけど、自分とYuのいまの幸せに影響しない範囲で、父に関わる」
この選択が、魂の選択とズレているか否かは、私の支援者は決して教えてはくれません。常に「お前はどうしたいのだ?」という問いが彼らにはあるからです。もし、その選択が魂の目的とズレていれば、修正するような新しい選択が与えられることでしょう。
でも、どんな選択をしたとしても、いつも、援けられているので、きっと、大丈夫。それを信じられます。

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雨も止んだみたいなので、Yuの好きなコロッケを作るべく、スーパーにお買い物に行ってきます。
お腹空いた~眠い~
充実した好い1日なり。

週末(たぶん日曜)は、ブレスレット(山梨の黒水晶)をアップ予定です。
ブログのトップ画像は、未だ商品にUPされてないし、今後されるのかも不明なフローライトです(*´▽`*)

ではでは、またね( *´艸`)