未来を迎えに行く
こんにちは!
断捨離×12、毎月のように、呟いている気のするMumです。
モノ・人間関係・コダワリ…
やってみて、《これチガウナ》と感じたら、”もったいない”とか”傷つけるかな”とかに囚われず、止めてみる。
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あれから・・・(って、どこまで話したっけ・・?(‘ω’)w)
チルル家は、雨漏り・・(*´▽`*)ポタッポタッ
Gにも怯えつつ、日々見かけて生きているからか、、最近は少し過呼吸気味になってきたので、はやく家移りせねばと思いつつ、毎晩瞑想して心身の調整を心がけています。
雨漏りが原因で、カビが発生し、一部屋使えず。。
Yuが受験のときに、6畳のYuの部屋へベッド持ち込ませてもらうことになるとは。
かれこれ1か月、6畳間に2人と犬で寝ています。人生何があるか、わからん(;’∀’)デス。
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みなさんは、未来をどういう風に捉えていますか?
Mumのイメージは、いろんな未来があるんだけど、自分が選んだ未来を受け取りに行く感じ。
たくさん糸が垂れてて、自分が欲しい未来の糸をつかんでいる感じ。
あみだくじのゴールは分かっていて、あえて、いろんな道を行ったりしながら、そこへ手を引かれて、向かう感じ。
さっきも、”人生何があるか分からん”と呟きましたが、
途中は何があるか分かんなくても、結局行きつく先は分かっている感じ。
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じゃあ、そもそも、どんなイメージを”未来”と定義しているのか?
未来年月日 資格を取る
未来年月日 結婚
未来年月日 収入〇円
未来年月日 家族が笑顔
ではないです。
こういった未来図は、何かを手に入れることや、相手に左右しかねないこと、です。
だから、かるーい気持ちで、意図はしますが、それは手段であって、私が心底願う未来ではない。
もちろん、これらを適切な心身で意図すれば、未来に訪れることも知っています。
適切な心身とは、達成できる肉体的な健康と達成したときに感じられる心の状態を、いまに再現し続けることです。
でも、これらは、単なる人生の1ページ・・過程でしかない、これを達成すれば、また先に何か意図が生じるようなものです。分岐点までの糸って感じかな。
私のこの生で迎えに行っている未来は、
死ぬ瞬間に、心からの感謝と共に、この世界に”ありがとう”と感じる自分の心の満足と心の笑顔です。
すごい具体的に心に感じて浮かべることができます。
変化もします。
10年前は、独りぼっちで死ぬ場面でしたが、最近では、人に囲まれている場面へ変わりました。
私にとっては善いシフトが起こったな~って感じです。
これが究極の未来図なので、そうなるような出来事や出会いが間に必ずあることを信じられています。
根拠のない安心感の基は、きっと、私の究極の未来図のおかげ。
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未来は不確実だ
そう感じていると
未来を迎えに行く
そういう感覚は???ですよね。
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未来が不確実だと感じているのは、一理あって、場面場面で切り取れば、確かにその通り。
フォーカスが、未来のある一点である場合も少なくない。
自分が拘っている未来があれば、それが来るかは不確実で、起こる可能性も少なそう。
もっと、フワッとした幸福感に満ちた未来を想像してみると良いのかな?
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Mumは、いま、天井雨漏り、ナメクジ出現、G出現、3LDK借りて何故か2LDKしか使えない、風呂の水は流れが悪すぎて溢れるっていうミラクルな家に住んでいますw←笑ってやってくれ!
クライアントから、テント貸そうか?と言われる始末( *´艸`)
ところが、Mumは心の中で、完璧な窓と水回りのある家に住んでいるんです!!
そして、事務所も別で借りて、ちょっとワクワクしている。
もはや、この家に住んでいる自分は終わっていることなので、ときどき《はて、、なぜ現実はこうなんだっけ》とさえ思う日々。
転居は、Yuが第一志望に受かる前提ですが、《受かるっしょ》としか思っていません。
因みに、今の合格可能性は、20%?
世のお母さんならカリカリしそうですが、私もYuも受かると思ってるので、それに向けて出来ることするのみ、行ったらどんな部活入って、どういう生活して、何を勉強したいとか、そんな話ばっかりしています。
これが、未来を迎えに行っている感覚でいる状態なのかな、と思います。
(っていっても、もし別の学校に行ったときは、それはそれで良い)
何かが確定するまでは、何かが起こるときまでは、のんびり構えて、何かが起こったときに対処しても遅くない
と、知人のアドバイス。
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不安になる?
イライラする?
カリカリする?
そんなときもある。
でもねーと思います。
私の未来は、そんなんじゃないなって。
私の未来は、明るくて幸せな感じなので、今の不安やイライラやカリカリ、
ちょっとした未来へのスパイスなのかなってチラリと思いつつ、出来る対処をしていく。
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昨年、Yuとイギリスに行って、今でもよく話すことってなんだと思いますか?
ストーンヘンジ?
大英博物館?
エジンバラ城?
ハリーポッター?
オックスフォード?
・・いろんなスポットに行きました。
1年経って、私たちが鮮明に覚えているのは、ケンジントン宮殿の前に広がっている公園でした。
大雨に降られた後の公園の芝生は水を含んでいて、
そこをカモの親子が歩いていて、
Yuがカモに囲まれて、
リスが沢山いて、
自由な犬がリスを追いかける
トイレに入ろうとしたらクレジットカード入場で何故かできず、試行錯誤ののち諦め
出口を探しつつ彷徨った楽しい記憶です。
いつか、チルル犬をそういう自由にしてあげたいね
と一緒に感じた瞬間です
人生で心に残ること、自分にとって大切なことって、そういう本当にさりげないことなんだなぁと再認識します。
もしかすると、少なくない人が、何か列挙できるような特徴的なことを成し遂げることが素晴らしいと思っているかもしれませんが、本当の自分のしあわせは、それとは別のところにあるのかもしれないですね。
究極的に言ってしまえば、自分が健康で、心穏やかで、笑っていられること以外に大切なことなんてない。
健康で、心穏やかに、笑っている
ぜんぶ一人でできることだね
そこに、誰かが一緒にいてくれたり、何かが起こってくれたりするのは、自分にとっては何が心に感動をもたらし、どんな状態だと笑っていられるのかを気が付かせてくれるためなんだよなぁ。
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ではでは、またね(*’ω’*)