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チルル・パワーストーンの声を聴く石屋さん

チルル

質問:石をプレゼントすること

ライン

質問:石をプレゼントすること

こんにちは!

元気ですか~?
Mumは良い感じ。
私たちの環境は常に移りゆきますが、それに対する意味付けは自分が決めているということを意識して過ごしてね。

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お客様からの質問にお応えします

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80代の父に、お守りとしてストーンをプレゼントしたいと思い、石の画像を見せて、ぱっと見て気になるものがないか聞いたのですが、どれも気にならない、とのこと。

こういう場合は、やはり今出ている石を無理にプレゼントしても父には合わないので、やめたほうがいいでしょうか?

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ご質問、ありがとうございます^^

お父様を想う娘(Mさん)の優しい気持ちが伝わってきます。
大切な人への特別な御守りに、チルルのストーンを見つけてくださって、とても嬉しいです(*’ω’*)💛

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”やめたほうが、いいですか?”

ということについては、Mさんの自由ですから、私が決めるのは違うのかなって思います。

なので、このご質問に対しては、私ならコウスルを紹介することにしようと思います。

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まず、私が大切にしている基本スタンス①をご紹介します。

『相手の言葉を尊重する』

そのスタンスの理由を説明します。

理由①
何度も紹介している言葉
想いは言葉となり 言葉は行動となり 行動は習慣となり習慣は人格となり 人格は運命となる

言葉は、想いから生じます。

そして、私たちは、自分の本当の”想い”にさえ、気が付かず、分からない状態を体験しています。

そうだとするならば、たとえ親子だとしても、相手の”想い”を想像したところで、100%分からないです。
私たちは、自分が持っている視点からしか、相手の想いを想像することが出来ません。

私たちが、”そうにちがいない”と勝手に想像した相手の”想いは、”そうではない” 

理由②

私たちはひとりひとり、完璧な存在です。

そうだとすれば、相手は自分の”想いを”そのまま”言葉”にしていると、私たちは信じることが相手を敬い、尊重することになると考えています。

理由③

例えば、相手(Aさん)が自分の想いとは異なる言葉を発するクセがあるとします。
周りの人は、そのクセを知っているので、Aさんの声のトーンやニュアンスで、その想いを推し量って、対応してあげています。
果たして、それが、Aさんにとって、本当の幸せに繋がるのでしょうか?
・・・それは、分かりません。少なくとも、Aさんにとっては、その方法が、今までで一番価値あることだから、選んでいる手段だと推測はできます。
でも、私がそれをしようとすると、とても疲れます。だから、Aさんの想いを推測することは、しません。
そして、私自身も、周りにその負担をかけようとは思いません。私の想いを汲み取ってよ!とは思いません。だから、しません。
さらに、私は、自分が選択した経験や自由を、他人に奪われたくありません。だから、私がしてほしくないことは、しません。
全てのことは、還ってきます。私は自分のために、自分に還ってきてほしいことを、選択します。
みんな、自分のために生きていますから、自分のしあわせを追及してよいと考えています。

理由を3つだけ、書きました。

私は、その人が発した言葉を尊重します。

その言葉は、その人が抱く想いと一致している、そのようにいつも解釈しています。
だって、自分を一番理解しているのは、自分ですから。
相手が、どんな性格で、習慣があるかは、私には関係がありません。
これは、私が決めた私のルールです。
このルールは絶対です、柔軟に相手によって変えません。
変えてしまうと、いつも相手に振り回されることになり、自分の幸せが相手の言葉に左右され始めると考えています。

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次に、基本スタンス②を紹介します。

『自分がどうしたいのか、を決定する』

相手の希望は、言葉のとおり、受け止めました。
自分なりに、相手の想いを、言葉の通り、理解しました。

それとは、まったく切り離して、完全に切り離して、自分はどうしたいのかを心に問いかけます。

さて、ここで、現代の私たちは大問題を抱えています。
何でしょう?

打算、損得、win-win 

過去に相手がしてくれたこと
これから相手に期待すること
これからもたらされるかもしれない利益
生じるかもしれないリスク
高速フル回転で、脳みそ働き始めてくれます
それは生命の危険を回避するための防衛本能です

一瞬浮かんでいた”こうしたい”を一瞬でぶっ飛ばす、もしやすると遺伝子レベルの習慣

同情、愛情、憎しみ、困惑、心配、不安、期待…
それらの感情は、どこから生じるのでしたか思い出してみてください。
始まりの感情は、愛or不安です。
次々と浮かんでくるideaを愛or不安に分類していってみてください。
分類して、愛を選ぶのか、不安を選ぶのか、決めてください。
瞑想をしてみてください。
森に出かけてみてください。
空を見上げてみてください。
木に抱きついてみてください。
あらゆる手段を試して、あなたが本当に”どうしたいのか”心に問いかけ続けてみてください。
他人に相談しないでください。
自分に相談をしてくだっさい。
答えはいつも自分の中にあります。自分だけが知っている自分だけの今のコタエです。

少なくない人が、第6チャクラ・第7チャクラを活性化したいと望んでいるようです。
それは、なぜなのか?
本能として、私たちは、自分を経験したいからではないでしょうか?
”自分はどうしたいのか” 
その想いを、尊重したいのではないでしょうか。
同情、憎しみ、困惑、心配、不安、期待…これらの感情から解放されて、愛の感情を思い出したいのではないでしょうか。

誰が何と言おうと、関係がありません。
その言葉に、意味はありません。
意味があるとすれば、私たちが、ただ単に、意味付けをしただけです。自分の視点の範囲内で。

だから、私たちは、自由に、完全に自由に!
自分がどうしたいのか
それだけを純粋に、どこまでも探って、どれだけでも大切にしていい
そういう風に、Mumは確信しています

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このスタンス①と②の関係について、説明します。

この2つの運用についても、ルールがあります。

ルール1 相手にとって、善かれと思うことをするときは、スタンス①を優先する
     ※相手の視点/立場/環境にたつとき

ルール2 自分のことを決めるときは、スタンス②を適用する
     ※自分の視点/立場/環境にたつとき

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前置きが長くなりました。

もう一度、質問を見てみます。

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80代の父に、お守りとしてストーンをプレゼントしたいと思い、石の画像を見せて、ぱっと見て気になるものがないか聞いたのですが、どれも気にならない、とのこと。

こういう場合は、やはり今出ている石を無理にプレゼントしても父には合わないので、やめたほうがいいでしょうか?

(Mさんからの質問)

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Mさんは、ルール1とルール2のどちらを、選んでも、自由です^^

このブログが、お役に立ちますよう。

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これは、まったくのMumの妄想です。

Mさんは、ストーンが好きなので、お父様とその想いを共有したいのかもしれないですね。
自分が好きなものを、自分が大切にしている人が理解してくれることは、大きな喜びです。

Mumは、小学校1年生の時に、家族で大原美術館に行きました。
とても嬉しくて、ポストカードを母に沢山買ってもらいました。
それを、大好きな父に早く見せたくて、走って行って、石垣に座る父を見つけて、”自分も石垣にピョンと飛び乗り、”みてみて!あのね~”と、一枚一枚説明して、父は嬉しそうに頷いて聞いてくれていることが、すごく嬉しかったのを、今でも、その感覚を伴って覚えています。


・・・ちなみに、
ひたすらしゃべった後に、”よかったね”という声に違和感を感じて見上げると、そこには知らないおじさんが優しく笑っていました。
、、、自分の現状に、気が付いた時のMumの衝撃よ・・。
あのおじさんは、本当に優しかった。雰囲気も声も、優しかった。
今でも、思い出すと、心が温かくなります。


余談でした。

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Mumの父は、他界していますが、愛の深い人でした。

いつも、私がしあわせであること、金銭的に豊かであること、笑っていること、楽しそうであること、困らないこと、そういうことを第一に、自分の想いや困窮や寂しさより優先してくれていました。

だから、私は私なりに、父がほんのつかの間の歓びを感じられることを届けたいと思っていました。
父にとって、それは、ただ、私が会いに行くこと、それだけでした。
もちろん、プレゼントをすれば喜んでくれましたが、父の心にいつまでも残っていたのは、一緒にした経験だったようです。父にとって、私は生きていることだけで価値があるんだろうな、そのように私は解釈していました。

幼いころは、父と一緒に沢山の経験をしました(家庭の事情で、父と過ごしたのは12歳まで、その後再会したのは20代です)。
今でも、私の心に残っていることは、
稲穂について教えてもらったこと、母のために花を摘みに行ったこと、山に登ったこと、宮島に行ったこと、お寿司が好きな父とよく寿司屋に行ったこと、私の誕生日に二人でしゃぶしゃぶ屋さんに行ったこと、塾に頻繁に迎えに来てくれたこと、弟と三人で野球をしたこと、週末になると寝ている父のベッドに潜り込んで落ちそうになりながら一緒に寝てたこと、誇らしそうに自分の仕事の経験を教えてくれたこと…そういった日常のことです。
もっと大きな旅行や出来事はあったはずですし、金銭的にもたくさんの投資をしてもらったはずですし、プレゼントもたくさんもらったはずですが、心に残っているのは、細やかな経験ばかりです。

私は、だから、Yuとは沢山一緒に過ごして、いろんな経験を一緒にしようと決めています。
ただ、晩御飯を一緒に食べること、”いってらっしゃい”と窓越しに手を振ったこと、寝てるふりをするYuの頭を撫でたらニヤリと笑ったこと、そういったことの中に、私にとっての幸せがあると、父が教えてくれました。
そして、結果的に、そのことがYuの心にも残ってくれて、私との大切な思い出になっていくんだろうなと考えています。

興味深いことに、姉は、父のことを恨んでいます。
自分の人生は、親のせいで台無しになった、最低な両親だと(今のところ)意味付け(解釈)しています。
※姉が言った言葉のままMumは受け取っています


出来事への意味付けは、自分次第。
Mumが、このブログで何度も書く理由は、与えられた環境や出来事をどう意味づけるかが、自分の人生の幸不幸といった認識へ影響することを知っているからです。過去は変えられないといいますが、変えることが出来ます。
過去への意味付けを変えたとき、過去が変わります。

皆さんもご存じのマイケル・J・フォックス、Back to the Futureの主演俳優は、20代でパーキンソン病を患われています。
彼は絶頂の中で、その病になり、絶望し・・・そして、希望を見出し、ご存じの通りの生き方を私たちに見せてくれています。
「感謝の心があれば、誰でもポジティブに生きることが出来ます」
心の深くに響く、彼の言葉です。

彼を前にして、いったい誰が、”私には感謝の種がありません”と言えますか。
彼は、どのような身体・状況・環境・感情の中にあっても、”感謝の種”を見つけることが出来ると教えてくれています。

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さて、質問の応えになっているでしょうか?

ご期待に応えられたかは分かりませんが、誰かの期待に応えるために人は存在しているわけではありません^^
私は、このブログを、私が書きたかったので、書きました。
自分の気が向いたタイミングで、書きました。

ご質問、ありがとうございました。
おかげ様で、私は自分の心とまた向き合う時間をいただきました。

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私たちは、人生をかけて、何をしたくて生きているんだろう?
特に意味はないのかもしれない。
意味があるのかもしれない。
意味があるとすれば、それは、自分が決めた意味付けだ。

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どーでも話だけど。

昨夜、温泉に行きました。
そうしたら、20代の子が、クリーム色の靴下にハート柄の靴下を履いていて、可愛かった。
で、フッと気が付きました。
・・私は、ああいう柄を履かぬまま、40代になったな・・
そして、グルグルといろんな考えが巡り始めます。
あの柄は、20代の特権なのか?
いや、むしろ、私の心は、あの柄の靴下をはきたいと思っているのか?
どこかで、あの靴下を見つけたときには、これは運命だと思って、購入しようと思います。

いまも、思ってるんだけど、Mumは本当に幸せだな~
昨日も、お客さんが相談にいらっしゃったんだけど、相談内容はヘビーでも、結局、二人で大笑いして。
今朝は、友達が私の体調を気遣って、スープ送ってくれるって連絡があって、心がホッコリして。
日中は、お客さんが電話してきて、いろいろ聞かれてちゃんと上手に伝えられて、そのあと雑談しまくって、犬猫の写真を見せあいっこして、大笑いして。
落ち込むことも、後悔することも、ちょいちょいあるけども、そんな気にならないで、とりあえず放っておける。
昔は、誰かの顔色を窺って、誰かの言葉に一喜一憂して、誰かの言動に傷ついて、期待をしてはガッカリして、思っていることを言葉にできなくて、そんなだった記憶があるけども。
変わったきっかけは、何もかも無理になって、自分の想いだけは、自分だけは、大切にしてあげよう。そう決めた瞬間からだな~。言葉と想いを一致させるように、Yuを真似して、いろんな幼児を観察して、教えてもらった。その一歩を踏み出すのは、怖かったけど、今となっては、何が怖かったのかナゾ。
そんなものだね。一歩踏み出して、また一歩踏み出して、また一歩踏み出す。
踏み出してしまえば、その前に考えていたことなんて、きれいさっぱり忘れてる。
覚えているのは、”想い”だけなのかなって、ちょっと思うよ。
だから、やらないと後悔するけど、やったことは後悔しないって、言葉があるのかもしれない。
”想い”を置いてけぼりにすると、後悔する、いつまでも、後ろ髪をひかれる。
”想い”と一緒にやったときは、もう過去のことは気にならないし、悩んでいたことさえ、恐れていたことさえ、忘れてしまう。”心配ごとの9割は杞憂”と、いわれてる。

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じゃ、気が付いたら、夜中の2時!
寝ます。

今日も、よい一日でした。
身体も、心も、魂も、ありがとう!

またね。