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チルル・パワーストーンの声を聴く石屋さん

チルル

他人にすることは、自分にすること

ライン

他人にすることは、自分にすること

雑談

好きな言葉の1つ、最近やたらと心に浮かんでくるので、紹介します。

『他人(ヒト)にしたことは、自分にしたことだよ」

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Yuがリンゴを切ってくれました。

「Mum、綺麗なのと、ちょっと痛んでるところと、どっちがいい?」

聞いてきました。

「綺麗なの!」

即答しました。

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Yuは予想に反した回答に戸惑った様子でした。
なぜなら、私は物心つく前、誰かから「他人には一番いいものをあげなさい」と教えられて、殆どの場合にそうして生きてきました。
一番古い記憶は、保育園のころ(たぶん3歳か4歳頃)、ビュッフェスタイルのスペシャルランチがあり、みんなが選び終わるのを待って、
さらに、初めに取った子がお代わりに来たのでそれも待って、「残ったものでいいや・・」と思い眺めていたところ、先生が「何食べたい?」と声を掛けてくれたことです。

”人に譲ることが、常に善い”という価値観は捨てたつもりですが、やっぱりYuと何かをするときは、自分は後でよかったり、良いものをあげたり、していました。

で、ハタッと、気が付いたのです。

・・・Yuは、いいものを貰ったり、優先したりするのが当たり前になっている・・・

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切ってくれたリンゴは、1つのお皿に盛られていて、私はよく噛んで食べていました。
最後の一切れを取ったところ、すごく痛んでる・・

「Yuさ、痛んでるの残したでしょ?」

「・・え?あ、ほんとだ」

「いや、気が付いてたよね?」

「・・うん、ごめん。」

「いいけど、『他人にしたことは、自分にしたことだ』から。よく覚えておいた方がいいよ。聞いたことない?」

「・・いや」

「ふーん、『他人にしたことは、巡り巡って、全部自分に還ってくる』から」

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Yu育ての中で、絶対に言っていると思うし、私は自分で身をもって見せているから、Yuは学んでいるはずだという思い込みがありました。

《自分が経験したことでしか、人は学べない》そう言う人もいますが・・。

飛行機に乗れば、窓際をYuに譲り、
電車に乗れば、座り易い方を譲り、
私はYuの”譲る”という経験を与える機会が少なかったようです。

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とはいうものの、幼い子は充分に与えられることで、充分に保護され、”自分が存在していい”という感覚を持つという一面もあるのではないかと思っています。

そういうわけで(?)、いまの状況も”まあ、いっか。必要なことだな”と思うわけですが、幼いころに”譲られる”という経験を沢山したYuは、これからは”譲る”という経験をしていくのかもしれません。

そして、私と同じ年齢になるころには、「他人にしたことは、自分にしたことだよ」を実感として思い出してくれればいいかな。

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私たちは社会の中で生きていて、他の人と関わらずには生きていけません。

なにが自分にとって”善い”のかは、ひとりひとり異なります。

脳科学者の中野信子さんだったと思いますが、「あなたが息をしているだけで、批判してくる人はいると思う」と仰っていました。
イチイチ、他人の反応を気にしていると、キリがない。
ただ、自分が相手にしていること、相手に言っていることは、気にした方がいいんだと思います。
その気にした方がいい部分の、自分にとっての善し悪しの判断基準が、”相手の反応”になってしまうと、それは、自分にとって”善”ではないことを選んでいくことになるので、巡って還ってくる言葉や出来事が、自分にとって、いつまでも、いつまでも、心地よい感じになっていかないのかもしれないと思います。

自分の心に浮かんだ言葉、自分の心に浮かんで選んだ行動、それらは全部、”善”です。その時の、自分にとっては。
それが、本当に自分にとって、長いスパンでみて、本当に”善”なのか? チェックしてみることがいいです。

そして、本当に自分にとって”善”であるかを確かめるため、宇宙の法則では、その言葉や行動は巡り巡って自分に還してくれます。
「ヒトにしたことは、自分にしたことだよ」
チルルMumは、こういう風に今のところ解釈しています。

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例えば、私がYuに何か”善い”ことをしたとして、Yuは私に返さなきゃいけないっていうことは、全くありません。
何かを”期待”して、何かを言ったりしたりしたのであれば、それはイコール”善い”可能性はとても低いです。
あなたに還ってくるものは、誰かからの”期待”だったり”要求”だったり、そんな感じかな?

私は20代の頃に教えてもらいました。
いつも示唆に富んだ話を聞かせてくれる方に、何も返せないなぁと頭を悩ましていた時、言われました。
「俺に返さないで、いつか他の誰かに返してあげればいい」

すっごく気が楽になりましたね。それでも、返そうとする自分はいましたが。
「他人にしたことは、自分にしたことだよ」という言葉も、もしかすると、同じ方から教えてもらったのかもしれません。

《いつか》
《他の誰かに》
この2つのキーワードが心に響きました。

何が”善い”か、人それぞれ違うという認識の段階を超えたところにある”善い”は、すべての存在にとって”善い”になっていくのだと理解しました。
言い換えれば、”何が善いか”をみれば、その存在の魂の状態がわかり、課題がわかる気がしています。

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ヒトと話をするときに、『この人にとっては、このことについて、何を”善い”と決めているのか』といった視点を持って聞いてみると、相手のことをより深く理解できると思います。

相手が”善い”と思っていることを、いくら自分の”善い”を主張して塗り替えようと試みても、それは殆ど不可能です。・・・少なくとも、私の経験では不可能でした。

私たちに出来ることは、
「そっか、あなたにとっては、それが善いんだね。いいじゃん、やってみれば?」と経験することを応援するだけです。
たとえ、あなたには、その経験が必要なさそうに感じられたり、結論がわかっているように思えたりしたとしても、その人にとっては”必要な”経験だから。
そして、その相手に種を渡すという役割があることもあるので、自分が自分の”善い”を伝える(主張する)ことを止める必要もないと思っています。

多くの人が悪人だと決める人であっても、少なくとも悪人と言われるキッカケとなった出来事が起こった時には、本人は”善い”と思っているから選択しています。
アルフレッドアドラーは「人は誰でも、自分にとって”善い”と思うことを選ぶ」と言っていて、私もそのideaを持っています。

「もっと〇〇すれば、良くなる」と思うことがあって、アドバイスするとき、そのアドバイスする行為は、お互いに意図された行動である可能性があるし、価値のある行為と思います。
でも、もし、その後に、相手が言動を変えることを”期待”する自分を発見したとしたら、その自分が行ったアドバイスするという行為は、相手のためではなく自分のためであったということです。
あなたが、アドバイスするか否かは、あなたの自由。それを受け取るか否かは、相手の自由です。
相手の自由を侵害すれば、巡り巡って、自分の自由を制限されるような経験が増えます。

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ちょっと八方塞がり感があるとき、思い出してみてください。
『ヒトにしたことは、自分にしたこと』
今の延長線上の未来を、ちょっとシフトするなら、この言葉をヒントに、自分のどの言動を変更してみるか試してみるといいかも?( ˘ω˘ )

思い浮かんだことは、24時間以内、できれば、この瞬間に、なにかしらのアクションを起こしてみてね!
↓このブログも、チェックしてみてね~
引き寄せの法則を意図的に使おうとすると、うまくいかない。それよりも、3秒以内に決断すること。

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今日は、スーパーセブンのブレスレットを右手に、仕事しています( *´艸`)

ブレスレットは左つけが多いMum。右につけることで、調子がよい今日のいい感じのエネルギーを、スーパーセブンの調和のエネルギーが維持してくれる感じかな。

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このブログを書き終える直前に、ミカンが届きました。

早速、開封したところ、一番最初に傷んだみかんを手にしました。

美味しそうなものを選んで、神さまたちにお供え。

さて、私も1つ頂こうか・・と、ついつい、傷んでいたみかんに手を伸ばそうとした瞬間・・ハッとして、美味しそうなものを自分にあげることにしました( *´艸`)

”自分にすることは、ヒトにすること”

ってね(´▽`)傷んだみかんは、夜にホットドリンクにしてYuと楽しむよ☆

自分を大切にするから、ヒトのことも大切にできる。

ヒトにしてることで、これは”善い”ことではないなっていう言動を発見したときには、もしかすると自分にしてるかも。

ではでは、またね!