悩める要素が悩みになるとき
こんにちは!
ストーンの相性をみさせてもらったり、話を聴いたりすると、ときどき言われます。
「Mumは、何でもお見通し」的な・・・
全然、何でもお見通しではありません~
ストーンをMum&Yuがチョイスすると、多くの方は、商品説明のところをご覧になり、”なるほど”と感じられるそうです。
しかし、Mum&Yuは、選ぶときに商品説明を読み返さない(覚えてもいない)し、依頼された方の背景も分かっているわけではありません。
ただ、自分たちの直感を信じているだけです。
石の前に立って、心が動いたストーンを手に取り、頂いた利き手の写真やメールからの感覚と融合させるような感じで、チョイスしています。
何か特別なことをしているわけではありません。
MumとYuは、目に見えない存在たちに援けてもらって、話をしたりして、選ぶこともありますが、それは証明できないので、たまに、気が向いてそんな風に伝えることはありますが、例えば、誰もが知っている神さまが選んでくれた石だから・・と思わず、人間のMumとYuが直感でチョイスしているだけなので、私たちの情報に惑わされず、ただ縁のあるストーンに心を傾けて感じていただけると嬉しいです。
それと同じで、ブログやお手紙などに、メッセージとして書くこともありますが、すべて、Mumの言葉として受け取ってもらってOKです。
ブログを書いているMumの感覚としては、区別があって意味があってしているのですが、受け取る読者の皆さんにとっては、誰のメッセージだからかではなく、自分にとって意味のあり価値あるかどうかは、みなさん1人1人の感覚で、決めてくださいね(*‘ω‘ *)
いつも、お伝えしているように、このブログで書いてあることは、すべて、Mumのideaです。
信じるも、信じないも、全ては、自由です。
Mumが個別にお返事したり、ストーンをお届けする時に手紙を書くこともありますが、
それは、将来にわたって意味のある言葉ではないし、やっぱり、この世界の小さな1つのideaでしかありません^^
Mumは、経営者に囲まれていることなどから、言葉もハッキリ断定的に伝えることが多いかもしれないけど、それは、その時の自分の信念を決めているからであって、その次の瞬間には(例えば、あなたの素敵なideaを受け取った直後には)、さっきまでとは違うことを、断定的に聞こえるような言い方をするかもしれません。別の信念に入れ替えたら、そうなります。
優しく柔軟的に曖昧に他人に合わせるということは、意図的にしないので、違和感のある方もいらっしゃるかもしれないけど、Mumはそういうタイプだと思って、ブログなどお読みくださいね(/ω\)
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さて、この2週間は、とっても、精神的に忙しかったです。
やりたいDIYの計画を練りつつ、土日も朝から1日仕事で不特定多数の人に会って悩みを聞き情報提供し、Yuの学校の行事もこなし、それに加えて、入院している父のことで電話があったり、退院後の家のこと、もし亡くなった時の火葬の手配を考えるように依頼を受けたり。
体力も気力も限界な感じもある中でも、Yuの勉強をみて、食事の準備を出来ている自分がわりと好きで、自分を好きでいられる日々に、幸せを感じていました。
とはいうものの、父のことは懸念事項です。
将来、自分に降りかかってくる(というか、今も降りかかっている)出来事や負担を不安に感じることは、途方もなく簡単で、心はズーンと落ちます。
亡くなったとき、火葬まで業者がやってくれることが判って、算段も出来て、ホッとする反面、父の希望と私がしようとしている選択のギャップに罪悪感を感じます。
ただ平穏に、普通に、生きたいだけなのに、どーして、こうも悩む要素は次々と外側からやってくるんだろう‥と思わずには居られません。
スピリチュアル的には、現実はミラーだというので、こういう出来事も自分の内側を変えればいいのでしょうけど、どのように解釈すれば変化するのかが、今のところ分からないから心にズーンとくるのです。
お風呂に入っては、自分がしようとしている選択が、亡くなった直後の父へどういう影響があるか考えたり、影響はないと思おうとトライしたり。
散歩に行って、月を見上げては、「どうするのがいい?」と自分や目に見えない存在に問いかけたり。
父の面倒を見てくださっているケアマネージャーさんからの連絡に返事をすることに気がめいったり、検討中の施設の人から病状を聞いて、気がめいったり。
そして、また夜、散歩に行って、トボトボと歩きながら、「どうするのが良いかな?」と誰ともなく、問いかけて。
そんなことを繰り返すこと、数日。「それは、いま決めなきゃいけないことなのか? 起こった時に、決めればいいではないか?」と心に届きました。
そういえば、数日前に、YouTubeでこんな言葉を聴き流していました。
「悩みはないですね、悩みって、24時間以上継続して考えるから悩みになるんだと思うんですよ。そういう意味で、僕は、そんなに考えないから悩みはない。だって、悩んだって、いま、起こっているわけじゃない。」
「そうか、そうだよね」
と思ったところで、早く決めて、スッキリしたい気持ちがすぐになくなるわけではありません。
数秒後には、また同じようなことを考え始め、悩める自分に出逢います。
その想定は、引き寄せるよ、と思っても、脳はなかなか止めてはくれません。
どうしたらいいかなーと思いつつ、ダメ元で、脳みそにお願いしてみました。
「悩みの種は、ほんとうに沢山ある。でも、その種を、いま、無くすことはできない。その種を捏ね繰り回して育てるのではなく、そのままの状態で保存しよう。そして、あなた(脳)は、とても優秀だから、もっとやってほしいことがある!どうやって、毎日集中して〇〇の仕事をこなすか、〇〇を楽しくする方法とか、そういうことに力を発揮してください。」
この方法は、功を奏し、育て始めていた悩みの素、Mumは現状維持の保存ができました。
「変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受容れる心の静けさと、両者を区別する英知を私は持っている」と何度か呟きました。
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メールを送ると、1日以内に返事をくれる知人が、5日経っても返事がなく、事情はしらないまま心配をはじめていた私が居ました。
ついつい、”なにか(よくない事)があったのかな?”と勝手に想定を始めてしまいます。
でも、そんなとき、私は、心配のエネルギーではなく、大丈夫のエネルギーを相手に贈りたいなと思うことにしています。
1週間たったので、連絡してみたところ、何のことはない、ただ他のメールに埋もれちゃっていただけのようでした。
心配事の99%は杞憂だと聞きます。
100の心配の要素を持つことは、すごく簡単です。
そして、きっと、だれでも、心配は幸せを引き寄せないだろうことも、感じていると思います。
心配して未来が良くなるなら、心配の先にある想定される未来が消失するのなら、意味があるのだろうけど、宇宙の法則からいうと、心配すれば、その未来を引き寄せやすくなってしまいます。避けられない出来事は誰にでもあるけど、その出来事の1秒前までをどう過ごすかは、とっても大事だと思っています。
8月には、Yuが学校で、話もしたことのない同級生に、一方的に後ろから定期的に殴られていたことが判明しました。
ついつい、”また起こるのではないか”という心配がムクムクと湧き上がってくる親心ですが、”きっと大丈夫、Yuなら大丈夫”と信じて、任せるチャレンジをMumはしました。
殴られる日常の中、殴り返さず、ただ静か耐えていたYuの心の強さを親として誇りに思いました。そして、やっぱり相当傷ついていただろう心を、心配する気持ちがムクムクと湧いてきます。
毎日、”大丈夫?殴られてない?”と確認をして、安心したい私がいるのですが、自分の安心のためにする言動と踏ん張っているYuに贈ると好ましそうな言動は全く違います。
Yuのために価値のある言動を選択したい(誰にも正解は分からないけど)と、思って、試行錯誤の日々です。
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生きていれば、悩みの要素は、みんな、尽きない。
でも、それを悩みまで育てるのかどうかは、自分次第だ。
悩みまで育てるためには、まだ起こっていない様々な自分が想像した出来事が融合させる必要がある。
私たちは、想像力を、あらゆる方向性に発揮することが出来る。
みんな、ひとりひとり《しあわせ》の定義は違う。
自分の定義する《しあわせ》のために、その想像力をつかっていけると、いいよね。
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ではでは、Mumも、みんなと同じ、いろんなことに悩んだり辛いなぁと思って生きているよ!
友人であっても、相談することはないから、口にする機会が殆どないだけ。
きっと、起こる出来事には、すべて自分の理解を超えた魂の意図があるんだろうと信じているだけ。
なんとなく、書きたくなったので、ブログにしました~またね( *´艸`)
今日は、チルル家の地域は、ぽかぽか陽気で、気持ちよかったです。