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チルル・パワーストーンの声を聴く石屋さん

チルル

自分のアイデンティティ

ライン

自分のアイデンティティ

雑談

こんにちは!

就職活動をしている若者だと《何者かになりたい》と言って、自分の特性を考えたり、自分らしい職業探しをしたり、するのかもしれません。

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〇〇(会社名)の田中さん
〇〇(職業名)の田中さん
〇〇(夫名)の奥さん

何気なく、使うフレーズですが、言われるたびに、違和感があります。Mumも言ってしまうのに・・です^^;

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人生の長い時間を、多くの人は、仕事(職業)のために費やします。
そうしていると、まるで自分という存在意義は、その仕事(会社or職業)と一心同体のように錯覚してしまうのではないかと感じています。

自分がいないと、仕事が回らない
自分がいた方が、いい仕事ができる

そういう勘違いです。
その勘違いは、一見しあわせな認知のような気がしなくもないけど、本当に幸せなのかな、と思います。

「Mumがいないと、困る」たまーに、言われます。
すぐに「私の代わりは、いくらでもいるから、絶対に困らない」と返事をします。それと同時に、相手の私への依存の度合いを測ります。
誰であろうと、自分が出来ることについて 《”依存”する状況に幸せはない》というのがMumの信念です。自分で自分のことは決めて、自分で引き受けていく、その先に、本当のその人だけの幸せがあると思っています。

自分のアイデンティティを、分かり易く職業に置いている人は多い。
他者から、カテゴライズされた職業内容と地位=自分であるかのように、評価され、賞賛されたり、逆に、まるで価値がないかのように扱われたりした経験、受験の経験(偏差値の高いに行けば、その人自身がまるで人として価値があるような)が、そういう価値観を植え付けている面もあるのかもしれない。
私は〇〇だから、〇〇でなきゃいけない、そういう観念をもっているとしたら、とても苦しそうだとMumは思ふ。

順風満帆に、一流大学と呼ばれる大学を卒業し、一流企業と社会的評価の高い会社に入り出世し、何ら人生に疑問を持たず、死ぬまで過ごすのであれば、自分のアイデンティティを職業に置いていても、何ら違和感もなく、誰かが定義した幸福の中で、自分の幸せの定義を想うことなく、過ごせるかもしれない。

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果たして、どれほどの人が、自分を、本当の意味で、大切にしてくれているのか?
自分のアイデンティティを理解してくれているのか?
職業・年齢・資産を取っ払って、ただの《わたし》だけを見てくれて、好きでいてくれているのか?
《存在するだけで価値がある》そう言ってくれる人は、この世界にいるのか?

そんなこと、思ったことはありますか?
Mumは、そんなことを考えることがあります。

いまのところの結論は、「自分以外に自分のアイデンティティを理解している人間はいないし、Mumの装飾品(職業など)なしでMumを見てくれる人間は、(今のところ)自分以外にいない。この世界に、なんもない自分でも生きていていいと言ってくれる人間は、(今のところ)自分しかいない。」

そりゃそうか、と思います。
Mum自身が、どれだけ努力したって、情報として相手の装飾品がはいってきた瞬間に、ある程度カテゴライズされた傾向と相手の人格をマッチングさせてしまう脳みそを持っているのですから。。そういうのを取っ払って、お互いに大切にできる人に出会いたいので、まずは他人をカテゴライズしてみない自分になりたいとチャレンジ中。

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そもそも、自分のアイデンティティは何なのか?
自分の職業が、自分の個性でないなら、いったい何なのか?

って、思います。

自分のアイデンティティは、正直、生きている間は、ずっと、探したり試したりしているんだと思う。
そして、職業は、自分のアイデンティティかもしれない性質を試すための場所でしかないって思います。

〇〇らしくない、〇〇らしい

そういう風に言われたり、ついウッカリ言ってしまったりします。

そんなカテゴライズは、自分のアイデンティティではないし、どこかの会社に勤めてることが自分のアイデンティティでもない。どんなことを為して、何を想うのかも、自分のアイデンティティかどうかは定かでない。
誰かの目や耳を気にして自分のアイデンティティ探しを中断するほど、誰かの期待するアイデンティティを形成してあげるほど、人生の時間は長くはない。

ちょうど、面白いideaを聞いたのでシェア
【成田悠輔】※悩む事はない、人生はそれぞれの生き方がある

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窓際ヒーター(ラジエーター)なるものを勧めてもらって、2台導入してみました!
この冬の救世主になりそう。

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「気功を受けてみようと思うんだけど、どう思う?」相談を受けました。

話を聞いてみると、よく分かんないんだけど、気功で身体の調子を整える技?みたいなの?
スピリチュアルヒーリングの別の呼び方なのかな?1回3万円らしく・・・10回は受けないとって言われたそうです。

「うん、いいと思うよ。やってみたら?
個人的には、自分も分かっていない根本的な原因を他人に改善できるとは思っていないけど、一時的には楽になるかもしれないし。」

旧知の仲なので、ついでに・・「これは聞き流してもらっていいのですけど、身体の調子がよくないのは、実は基本的なことが原因かもしれないですよね?
お酒・炭水化物の食べ過ぎ・運動不足。これをやってみれば、解消するかもしれないけど、実行するのは大変で時間も労力もかかるから、お金は使うけど時間も労力も使わない方法探してるのかもね?」

悩みや苦しみが続くときは、簡単な方法はないし、近道もないし、他人に解決する方法もなく、自分で行動するしかない気がします。
変えられることを変える勇気、変えられないことを受容れる心の静けさ、両者を区別する英知を私たちは持っている・・。

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パワーストーンを持てば、全部解消されるのか?
神さま(目に見えない存在)たちと繋がれば、全部解消されるのか?

そんなことは、もちろんなくて、Mumも悩んだり苦しんだりしています。
そんな時、パワーストーンや目に見えない存在に対して、改めて《援けて》とお願いはMumはしません。
それは、既に充分援けられて導かれていると知っているからだし、その上で起こっていることには、必ず意味があって、必ず自分の求めるところに辿り着くために必要な道だと信じているからです。

え、じゃあ、パワーストーンって、なんなの?意味あるの?って思われるかもしれない。
意味がないと思うなら、持たなければいいし、好きだからって理由だけでも持つ価値があるのがストーンなのかな。面白い。

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年収2,000万円くらいある友人が、パートナー探してるので聞いてみました。
「どんな人がいいの?」

「年収は、自分よりあってほしい」

そんな感じの回答があったので、「パートナー何でほしいの?」と聞いてみました。

「誰かと一緒に、ご飯食べたい」

・・・かわいい。( *´艸`)

そこで、疑問です。
「一緒にご飯食べるだけだったら、年収関係なくない?」

「でもさー、やっぱり、少なくとも1,000万円はないと話も合わないと思うんだよね。」

と仰るので、日本社会の平均年収と未婚適齢男性の関係について、情報提供しました。
「会社員で1,000万円超えてる人って、激務の可能性が高いよ?ご飯なんて一緒に食べられないかもしれないし、何だったら他のこともやってあげなきゃいけないかもしれない。
それなら、年収が低くても定時で帰ってきて、ご飯一緒に食べられる人が良くない?」

Mumの話を聞いて、唸る友人・・・でも、年収要件は捨てがたい様子。
「子供が出来てさ・・自分が働けなくなったときに・・・」
「え、生むのは代わってもらえないけど、相手に育休あれば、自分は仕事続けられるよ」のMumの発言に唸る友人・・。

「自分は、スペックで選んでいるのに、相手には自分のアイデンティティを見てほしいっていう願いは叶わないよ?」とMum辛口でした。

スペック押しで婚活しておきながら、お金目当て以外の女性がいない、アイデンティティを見てくれないって嘆く、相手を顔で選ぶ謎の男友達もいました。
「戦略は大成功じゃん? 嫌だったら、お金ないフリして、探せば?」とMumに言われ「お金なくしたら、僕の価値なんてないですよ・・・」と呟いていました。思い込みのチカラ。

結局、人はみんな(Mumも含めて)、
自分のアイデンティティをみてほしい。自分の価値を認めてほしい。
そう思いながら、
自分の価値を、物質的な数字で表現し、相手のことも、物質的な価値で、統計的に確率的に計ってるのかな。

・・・と、そう思うことは、ちょっと淋しいので、まずは、そうではない自分をMumは目指しています。

どんな生き方も、どんな価値観も、それは個人の自由で、いいと思ふ。

ただ、私は、人が本当に心の底(魂と呼ばれる域)で、なにを望み、なにを確かめたいのか、なにを求めているのか、どうありたいのか、そういうことに興味があって、《しあわせ》はその延長線上にあるような気がしています。

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金融機関の担当者が、担当替えの挨拶に来ました。

「出世?おめでとう!!」

と伝えるも、謙遜して、ハッキリしない様子。

「支店長になって、また会いに来てよ」と伝えたところ、ようやく小声で「実は、副支店長になるんです」って嬉しさを隠しきれず教えてくれました。

頑張っていたのは知っているので、
「ほら、やっぱり出世じゃん! やったね!!」と腕をバシバシ叩いて、慶びました。

何気ない日常の一幕で、誰かのしあわせを心から喜べた自分のアイデンティティに気づくことができます。このアイデンティティは、保持したままで居ようと決めることができます。どんなアイデンティティを持つかは、自分で選ぶことが出来ます。例えば、相手が、自分をひどく傷つけた過去があったとしても、根拠のない悪口を言ってくる人であったとしても、相手の幸せを”よかったね”と心から思える自分で居たいな、と思います。嫌われることになったとしても、自分の大切に想うことは真正面から伝えられる自分で居たいな、と思います。否定されることや、恨まれること、妬まれること、そういうことを恐れずに、自分のアイデンティティ探しをし続けたいな、と思います。自分の身体を労わった食生活をしようと思います。何かを諦めるのではなく、まずはやってみる人で居たいな、と思います。一つ一つの小さな選択が、全部、自分のアイデンティティだよなぁ。

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生きていれば、いろんなことが起こるけど、いろんな概念や価値観で同じ物事を見てみると、別の光が差し込む。

いやぁ、余談だけどさ。
Mumも、結婚しなきゃ言葉だけお節介受けてるんだけど。その一方で、Mumは何でも自分で出来るから彼氏も要らないねって言われます。

思うんだけど、パートナーって、自分の不足を埋めるため存在じゃないよね・・。
そういや元彼氏には「Mumは自分のことを好きじゃないんじゃないか」ってよく思われてたのは、きっと、あんま動向探らないし、何を求めるでもないからだな。
Mumは、自分は一人でも充実していてハッピーだけど、パートナーが居れば、新しい世界が広がる、そんな存在を探しているのですよ。
そのためには、自分ひとりを充分生きることかなって思うのです。

友人も、同じかな。
友人の定義が未だにわかんなくて、Yuには”Mum友達いないよね”と言われるし、”そうだね”と応えるのですが。
一緒に共有する時間を、愚痴るでもなく、悩みを打ち明けるでもなく、ただその場で生じたことを一緒に楽しめる、一緒に発見できる、感動できる、何か目的がある関係ではなくて、何も目的はないんだけど、一緒にいるときに新しい気持ちの良い感覚や感情が生じる相手は、友人なのかなぁと、いま、初めて思いつきました。
Mum基本、引きこもりだし、1人も好きだけども。LINEとかメールとか、自分からほぼしないし。ハーバード大学の80年近い研究で、50歳の時の人間関係が、その後の人生の孤独感やら幸福感に関与しているらしいって話が心に引っかかってる。

ではでは!
またね。