謹賀新年
明けまして おめでとうございます
新しい年は
新しい自分と一緒に
新しい気持ちとideaで
新しい筋斗雲に乗って わくわくと
もっと自分を見つけていきたい
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「来年はどんな一年にしますか?」
年末に、よく聞かれました。笑
聞いてくるのは、たいがい指令型のガンガン挑戦していっている元気な人。
”寡黙”
とだけ、応えると、反応に困る様子w・・「いいっすね!」と絞り出してくれました。
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私は、今年も、穏やかにマイペースに、充実して過ごせれば良いかなって、ぼんやり。
ただ、筋肉をつけたいと思っていて、年末駆け込みでパーソナルを体験しました。
私の運動の華麗なる(?) 挫折歴の中でもピラティスだけはマシだった(多少続いた)ので、マシンピラティスへ。
行ってみると、イケメンの若いお兄さんで、ちょっと想定外でしたが、これまでの女性インストラクターより優しいかも!?
私の生活圏にあるパーソナルジムは、ピラティスと筋力付ける系が一体化しているようで、良さげ・・・。
きっと、同じ場所・同じ人・同じことをするので、運動は飽きてしまうのだと分析し、今年は、いろんなジムに、いろんなことをやりに、スポット利用してみようかと。たまに、トランポリンとか、楽しそう。
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自分を大切にしてくれる人を 大切にする
家族・恋人・同僚・同級生・上司・部下、そういうカテゴライズに縛られて関係性を判断するのはなく、
相手が自分を大切にしてくれる人か、大切にはしてくれていない人か、この2つのカテゴリーで分類して、
人付き合いをしてみると、とってもスムーズ。
15年前、私は「誰も私のことを大切にはしてくれないんだし、好きにさせてもらう」と決めて、
自分なりに、言いたいことは言うし、やりたくないことはしないし、、、で、随分と人生が楽になりました。
とはいっても、元来が我慢強いし、お人よし(←自分でいうw)なので、去年末も「もっと我儘になっていい」とアドバイスされた程です。
やりがちだよなぁ、と思うのは、、、
自分を大切にしてくれない人にほど、尽くす。
自分を大切にしてくれて、大切にすると決めた人と向き合うことを避ける。
不思議なように思えるのですが、やってしまうことは少なくないです。。私も。
もしかすると、それは”人に優しくしなさい”って教育の賜物かもしれないし、
誰かに少しでも嫌われたと感じて傷つくことが怖く防衛本能かもしれないし、
もっと他の経験とその反応を持っているのかもしれない。
どんな理由であるかは、さほど重要ではなくて、
自分が労力と時間とお金をかけている相手が、自分のことを大切にしてくれているのか?
それが一番重要!!
自分のことを大切にしてくれるって、どういう意味かというと、
私が望むように大切にしてくれるってことです。
だから、自分で、言わなければいけない。
”私は、こういう風に大切にされたいです”って。
相手が、相手目線の”大切にしてる感”をアピールしてきたとて、
本当に大切にしていたら、その相手がどんな風に扱ってほしいのかに興味を持つはずで、
その興味を持つこともなく、自分基準の大切さを理解してほしいというのは、、ねぇ・・。
Aをしてくれる?とお願いして、渋るか承諾かして、結果、自分の損得との妥協点AB中間をやってくる人。
それなら、私はBをしたい、Aは嫌だ、と言ってくれれば、こっちだって複雑な気持ちにならなくて済むのに。そういうの面倒なので、ハッキリすることが、お互いのためでもある。
・・という風に、”大切にしてくれる”とはどういうことなのかも、自分なりに解釈して、伝える必要がありますね。
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朝日中高生新聞を眺めていて、今朝がた思いました。
これまでは、誰かのプロデュースされるまま、自分が動く時代だっがのかもしれないけど、
これからは、自分が自分をプロデュースして、自分が動く時代になるんだな。
政治や学校制度も、繕っていたものが露見しつつあり、ようやく崩壊へと向かっているのかもしれません。
私が携わる本業も、世界を見渡せば崩壊し、もっとシンプルに簡単に誰でも出来るようにした国があるようで、とうとう私の理想が見えてきました。(変な話、私の本業が無くなる方が、公平な世界観だと考えているので、私はいつも自分の職業が無くなっても良いように物心の準備を気に留めています)
旧い世界の常識が非常識となり、非常識だったideaが常識に代わっていく。
何時の時代でも起こり得ることなのに、なぜか、私たちは自分のideaがいつも常識だと錯覚してしまう。
私たちは散々歴史を学んで何も学んでいないな、とハッとすることがあります。
大人は、子供に”常識”を教え込もうとしていきますが、子供が生み出した”常識”が未来の常識で、私たち大人の常識が未来の非常識かもしれないってこと。そもそも、大人同士の”常識”も、置かれた環境や知識でかなり異なってるしね。
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2025年を想ってみると、どうやら、《陰》っぽい。
《陽》ではないですね、風の時代っていうから、頭では、陰陽の陽なのかなって考えていました。
といっても、Mumは姓名判断や陰陽とかそういう系も無知なので、単なる私個人的な感覚です。
全く当てにならないやつなんで、お気楽に書いています。
おそらく、自分の内面の《陰》にスポットライトが当たって、それをどう扱うのか試す一年になりそう。
カルマ(過去の経験の連続)や環境によって、”自分だ”と決めているどちらかというと”陰”の信念や感情も、人生にとっては重要なパーツ。それをどう活かしていくのか、それとも、手放していくのか…まずは持っている感情や信念に気が付き、次に経験し、次に決断する。
なるほどですね、それで、2024年はチルルに沢山の天然シトリンが届いたのですね。
そして、新年最初は、ガネッシュヒマール水晶(下の写真)がアピールしてきています。
陰陽というように、陰は陽とバランスをとって付き合っていく。
陽の気をもったストーンも援けになるのかな。
ところで、この写真に自動付与されたNo6999‥!
意味がありそう、と思ってエンジェルナンバーで調べてみましたよ。
蛇年は、ガネーシャの年でもあるかもしれませんね。
あと、気になっているのは、七福神(八福神)。
2023~2024年は、それらのストーンをお迎えになった方も少なくないのでは。
きっと、迷ったときにそっと寄り添ってくれる存在になるでしょう。
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Mumは、他人様の家に入ることが多いです。
そこで漠然と理解していることは、心身の状態がベターでない人の家の傾向。
・ごちゃごちゃ
・モノが多い
・暗い
・換気されていない=空気が動いていない
心身の状態が悪くなって、そんな家の環境になったのか、家の環境がそうだから、心身の状態が悪くなったのか??どちらが先かは分からないけど、どっちにしたって、心身の状態を改善しようとしたら、逆のことをすれば良いってこと。簡単だよね。
自分の家がどういう状態にあるのか、わからない人は、住宅雑誌を買ってくれば、すぐに理想の環境が心に浮かぶと思うよ(*’▽’)
1年使わなかったものは、その後も使わない可能性の方が高い。
ましてや、開封してさえいないものは、ゴミ。
思い出は心の中にあって、物の中にはない。
暗いカーテンは、家を陰の気にする。
気に入らないものを妥協して使うと、家が暗くなる。妥協は、妥協の未来を生む。
空気が動かない家は、エネルギーも動かない。停滞。
家とどう付き合うかは、自分とどう付き合うかと同義語。
環境をどう整えるかは、自分をどう整えるかと同義語。
1年使わなかったら、開封が億劫なら、捨てる。
思い出は心に、物は捨てる。
カーテンを明るくすると、家が明るくなる。
気に入ったものに囲まれれば、心が躍る。
空気が流れれば、気も流れる。身体も調整される。
家を大切にすれば、自分も大切にしている。
家を綺麗にれば、自分の心も綺麗に掃除している。
環境を整えることは、自分の心身を整えることにつながる。
まずは、自分が選んだカーテンの色を見てみて。
何色だった?
黒や紺、濃い茶色?
陰の気なので、自分の陰の部分が日々強化されます。
落ち込みやすい人には、向かない気がしますね。
男性の部屋はとくに、殺伐となりやすいので、意識してグリーンなどの取り入れやすいカラーから試してみてはいかが。
着る洋服は、どうですか?
私は、11-12月ころから、明るい日用品を買い求め始めています。
靴下や洋服に赤、コートはベージュ、鞄はゴールド・・。
ホワイトではない、カラーを求めてる私。
チルル犬に着せる洋服も、元気な明るい緑・赤・黄系が善さげです。
2024年は黒でも全く平気だったのですけど、不思議だなぁと感じたところ、どうやら去年は陽の気だったっぽい。愛用していた黒いタートルネックは、去年末に破れました(‘Д’)ソンナコトアル?
フッと、Yuの机を見ると、
毎回塾で配布される教材は、ピンク・薄黄色・明るいブルー。
色が心に与える影響が考えられているんだなと、感じました。
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1月1日は、新しい勉強を始めました。楽しい!
楽しい間は、苦なく、続けられる。楽しく無くなれば、止めてしまっていい、というのがMumルール。
楽しく学んだことは、自分の糧になっている。
これからの1年が、あなたにとって、満足のものとなりますように。
チルル