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チルル・パワーストーンの声を聴く石屋さん

チルル

怒りのエネルギー

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怒りのエネルギー

雑談

こんにちは!

みなさん、元気ですか~?
Mumは、ずっと慌ただしく過ごしています。
とりあえず、1か月は予定ぎっしり。
更新を期待せず、たまに遊びに来てくださいw( *´艸`)

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怒りは

美しい自己回復のエネルギー
美しい前進のエネルギー

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そう表現した知人がいます。

なるほどなぁ、と目から鱗でした。

知人曰く
「怒りと祈りは、一文字違い。なぜ一文字違いかというと、語源が”起こり”で同じだから」
「怒りは、軌道修正・自己回復‥元通りのカタチになる(本来あるべき姿を目指していく)という美しい感情」
「感情の使い方を学ぶ土台の感情でもある」


すごく大きくて、すごく低い感情の波動だから、現実に直結する怒りの使い方を誤ると、あっという間に、妬み・恥・蔑みに繋がっていってしまうので、ネガティブな感情に分類されることが多い
けども、怒り自体は非常に現実を動かすチカラ…怒る人が”なぜ””どうして”と問いかけるのは、本来あるべきカタチがあるから、、そう在りたいというものがあるから怒るので、それは”こうありますように”という祈りと同じ。
怒りという感情は、祈りで処理していくべき

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とっても学びが多い言葉でしたので、どうしても皆にシェアしたくて、ブログを書きました。

きっと、多くの人の援けになるでしょう。

ぜひ、何度も読み返してください。

自分のこと、お子さんのこと、パートナーのこと、理解する援けにもなります。

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エイブラハムの書籍を読んだことがある人は、ご存じだと思います。
人は、感情を順番にしか処理できない、というような記載があったと記憶しています。
”怒り”は低い波動のエネルギーです。
低いこと=悪いと解釈しているのであれば、それは改めた方がいいです。
低いエネルギーは、地球にいる私たちにとって、現実を動かすエネルギーだからです。
それを見なかったことにして、高い波動へは行けません(行ったつもりにはなれますが、現実が変わりませんので、つまり、自分では気が付かないかもしれませんが、そのままの波動にいることになります)

怒っているな、と感じたとき、脳みそフル回転で、”怒らないで済むような解釈”をして精神を落ち着けることには、殆ど意味がありません(むしろ悪影響?)。

例えば、
”ウエイトレスさんが、水を零れそうな勢いでテーブルにガツンと置いた”
という事実が生じたとき、少なくない人が、《感じ悪いな》とイヤな気持ちになりそうです。
その時に、どう解釈をしますか。


①いや、きっと、あのウエイトレスさんは、恋人とひどい喧嘩をして、たまたま虫の居所が悪かったんだ。許してあげよう。気にしないでおこう。
②あのウエイトレスさんの態度にイラッとした自分はなんでだろうか。
笑顔でサービスされることを期待してたんだな。じゃあ、まず、自分が笑顔で”ありがとう”言えば良いかな。
自分とは関係のない他人の感情に影響されてイラッとして、ありたい自分から離れていたな。
影響されないようにするには、自分はどう在ればいいのか。

①の解釈をした場合、また同じことが起こったときに、同じような反応を示す未来の自分がいると思いませんか。
怒りを蔑みで処理したので、自己回復もしませんので、きっと暫くはこの出来事をイヤなこととして思い出すかもしれません。前進もしていませんね。

②の解釈をした場合、”笑顔でサービスされることを期待していた”←祈りかというと、そうではなく。
更に深堀をすれば、きっと、自分はいつも笑顔でいたい←祈り、のではないでしょうか。
そうであるならば、その祈りを前進のエネルギーに変えればよいので、自分が同じような出来事がまた起こったときに、どう反応をするのかシュミレーションして、未来の自分は別の反応をすればいいです。

ところで、Mumは、数年前にとある学校で臨時講師をしました。
いざ、始めるぞ!という時に、一番前の真ん中に座っていた女の子が「キモっ」と大きな声で言いました。
もちろん、全員聞いています。
Mumはというと、その瞬間に決めました。
「この女の子を笑顔にして終わらせるぞ」
あとは全力投球するだけなので、まぁ、気にしても仕方ないので、他の子と同じように接しました。
むしろ、Mumは燃えていたので、楽しかったし、男の子たちが味方になって、盛り上げてくれました。
最後に、例の女の子が、照れた感じの小声で”ありがとうございました”と言ってくれた時には、心の中でガッツポーズしましたよ( *´艸`)
・・・たぶん、この経験の初めの”キモっ”のタイミングに瞬間的に沸いた感情は”怒り”だったと思います。
でも、私は何度もこういった経験をしているので、マイルールがあります。
”自分だけは、笑顔で、のんびりと生きたい” これが私の人生を通じた祈りですから、経験と相まって、瞬時に”祈り”に基づく行動を決定できたと分析しています。
これが、30年前の私だったら、引き籠っていますねw

近所の中華料理店は、美味しいけども、店員さんが横柄なことで有名です(どんなw)。
Mumは、料理が美味しいので、月に数回は行きますが、未だに愛想の一つもないですw
でも、Mumは、マイルールに従って、”ありがとう”+笑顔、で過ごして、満足して利用しています。
Mumの”人生の祈り”は、心穏やかでのんびりと笑顔でしあわせでいること、ですから、そこから自分が外れたときには”怒り”の感情が教えてくれます。
相手の在り方を認めて、自分を認めて、調和を見つけよ
ってね。
※偉そうなこと書いてますが、Mumは、未だにYuの学校の先生達と分かり合えません(;’∀’)
先生の思考は読めても、Yuへの影響を(勝手に)慮り、超イライラしてることあります。( ゚Д゚)ハァ?って、家で、ね。
だから、なるべく関わらないように生きてます。今の私としては、離れる・関わらないっていうのも、一つの調和の手段ではある。Yuが卒業する日が待ち遠しい。未来の私は、きっともっと善い調和のideaをもつだろう、って未来にお任せ!今は、これがベストなのよ。


怒りを深堀して、あなたの中の”祈り”を見つけ出してね。
その祈りを見つけ出して、その祈りを認識し、それにフォーカスし、事実の解釈を祈りに合うようにし、自ら行動し変化することで、現実が変化します。誰かを恨んだり、妬んだり、侮蔑しても、自分の現実は変わらないですよね。
”解釈を変えれば現実が変わる”という表現には語弊を生むかもしれませんので、ブログにしました。
まずは、解釈を変える前に、自分の”祈り”を見つめる必要がありますね。

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Mumは、感情は究極的には、愛or不安しかないと思っています。

この友人は、108つ感情はあって、人間が使っているのは3つくらい、せいぜい4つ目に”感謝”が加わるかどうか、と言っていました。
この友人と、私のideaは不一致ではなく、”たしからしい”と私も感じています。
このことに矛盾を感じる人がいるかもしれないと知っていますが、私の中では、そこに矛盾はなく整合性があります。ただ、説明は難しいので、割愛ご容赦。

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”感謝”や”無条件の愛”については、とても理解の難しい深いテーマです。
云わんとしていることが、まったく伝わらないことも多いです。

ただ、この度、友人がとても参考になる話をしてくれました。

ある日、泣きながら電話があって、ご主人がICUだということを告げられました。すぐに駆けつけて、一緒に過ごしました。
ICUの待合で2人だったので、聞いてみました。
「もし、これが最後だったら、何を伝える?」
「・・・・何だろう、やっぱり置いていかないでほしい、とか、後悔とか、、」
「そっか、私は、”ありがとう”と”愛してる”しか思い浮かばないかなぁ。だって・・・(ご主人が彼女にしてあげたことなど列挙)
「そうだね、ほんとうだ、、主人には感謝しかない(涙)」
「最後に、どういう風な感情で亡くなるかが、すごく今後のご主人にとって大切だと思うんだよね。感謝の波動は、とても高い波動だから、その波動で見送れば、ご主人の支えになると思うな。エネルギーは繋がっているから、特に絆のある仲では、強く。」
彼女がご主人に生きてほしいと願っていることは分かりましたが、私にはご主人が助かるということは言えませんでした。一時の慰めは、意味がありませんから・・。
彼女は、スピ系の看護師の友人が《助かる》と言ったから、助かると思うと自分に言い聞かせていましたが、私が決して”助かる”と言わないので、彼女も薄々察していたのでしょう、、一緒に過ごした時間は、心の準備をする時間になりました。
その日のうちに、ご主人は他界されました。

数日後、彼女がぽつりと言いました。
「主人が亡くなってから、”ありがとう”って言葉の意味が変わった。
これまでは、口ではよく”ありがとう”って言ってたけど、とりあえず口に出しているだけだったなと今ならわかる。今は、ほんとうに、心から、”ありがとう”って感じて、言葉を発してる。
ICUで一緒にいてくれて心強かった、一緒に泣いてくれる人がいた、助けてくれる人がいた、主人は全部整えてくれていた、本当に感謝しかない。」

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同じ”感謝”でも、理解が深まれば、魂の成長があれば、意味が変わります。
同じように、”無条件の愛”も変わります。

因みに、”怒りはとても美しい”と表現する知人も私も、同じことを言います。
無条件の愛は美しいけど、人間として生きるからには、無条件は”条件付き”だ。

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先週の土日は、東京はとても暖かく天気でした☀

Mumは、新しいチャレンジを一つしました。
ネット上のサークルで知り合った人たちとピクニック。
私だけ素面でしたが、楽しかったです。
これまでの自分のテリトリーでは出会わないタイプの人たちと、何の遠慮もなく、過ごしました。

4月には、友人がチルル家に連泊します。
むかしの私なら考えられなかった未来の自分です。
そういえば、1年か2年前に「一緒に旅行に行ける友達欲しい」って意図したなぁと思いだしました。

自分が意図したことは、全て現実になるんだなぁとしみじみ感じる日々です。

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14年前に、もはや張る見栄もないし、これ以上陰口もないだろっていうくらい言われてるし、、
・嫌なものはイヤ
・好きなものは好き
・興味ないものは興味ない
・面倒なものは面倒
・陰口言いたければ言えばいい(言い訳はしない)
・みんなに好かれなくていいし
・嫌いなら嫌ってくれ
・理解してもらえなくても、自分が理解していればいい
・自分の機嫌は自分でとってくれ
・他人の悪口や愚痴はウザいので聞きませーん
そういう風に、ぜんぶ開き直ってみたことから、人生が好転した気がします。
他人のことなんて、知ったこっちゃない、だって、誰も私のことを本当には気にしてなんかいないじゃん。そうやって、ちょっと今となってはスレた心持ちだったなぁと思える過去の私ですが、それこそが”怒り”のエネルギーでしたね、その静かなる怒りのエネルギーで”なにくそ!死んだら神様に文句言ってやる!”と本気で思って、神様に”どうだ!見直したか!”とデデンと威張ることを頻繁に想像していました(*´▽`*)
そんな静かなる怒りを秘めた過去の私が、自分を在りのままに、受け入れることにチャレンジしてくれたことから、今の私への道が開かれたように思います。
まさに、怒りのエネルギー、祈りのエネルギーだったんですね。
自己啓発本やそれに紛れ込んだスピリチュアル本を読み漁ったのもこの頃です。

自分の内側から沸き起こるものを受け入れることは、認識しているよりもずっと私たちの人生にとって価値がある選択なのかな、と思います。
内側から沸き起こるものに、善も悪もないのです。
むしろ、善悪を想うのであれば、その想うこと自体を疑問に感じて検証してみても面白いかも。

”神様に文句言ってやる!”
そう思って、かなりリアルに、文句を言う場面が頻繁に浮かんでいた過去のわたし。
文句言っても、神様は、飄々としている風なのに、また腹を立てる。
でも…不思議なことに、文句を言いたかったことをクリアにしたら、”神様、ありがとう” って、しおらしくお礼しか出てこない。
そして、1年も経たないうちに…”死んだら、神さまに絶対に文句言ってやる!!” その繰り返しの結果が、いまのMumです。
今はもう、文句を言おうと思うこともなく、いつも傍にいて、見守ってくれていることに感謝です。

必要なものは
必要なときに
必要なだけ
与えられる

そう信じられたのも、神様に文句言い続けた日々の中で、実感したからです。
思い返せば、怒りのエネルギーを使って、前進してきた人生ですね。
怒りは、祈り。
美しいなぁ。そうは、思いませんか?

神様たちが、微笑んでいます。
そうか、だから、神様たちは、いつも笑顔なんだなぁ。

余談ですが、イエス・キリストは怒りんぼだった、と先の知人談。
なんなら、磔にされるときも「父よ、なぜ」と言っていたって^^
そういや、そうだったね、イエス様。酒飲みだし。
イエス様も、怒りのエネルギーで前進していたんだなぁ。
古代では、怒りは美しいものとして表現されているそうですよ。

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祈り

善い響きだなぁ。

祈り

癒されますね。

祈りは、前進のエネルギー
ピュアエネルギーですね

よく神社では願いごとをするのではなく、何をしているのかを話してね、といいます。
私は、こうなりたいから、こうしてみているよ、そういう話です。
それこそが、祈りだからですね。

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ではでは、またね(*’ω’*)💛