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チルル・パワーストーンの声を聴く石屋さん

チルル

自分を愛する、始めかた。

ライン

自分を愛する、始めかた。

雑談

2コ前のブログ(博愛精神(無条件の愛)の前に。)、その他のブログでも、ちょいちょいお伝えしていること。

自分を大切に
自分を好きになる
自分を愛する

話として理解できても、実際何から始めればいいのか?

私が実際にして、効果があったことを、一つ紹介します(*‘ω‘ *)

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Yuの学校の全校集会で、先生が仰ったそうです。

『自分を客観視しましょう。』

・・・・みなさんは、この提案に、同意されますか??

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『いまいち、意味がよく分からないんだけど、どういう意味なの?』
Yuに聞いてみました。彼の解釈によると、
『つまり、他人から見て、どうかってことを気にしなさいってことじゃないの?』

他の解釈は、どんなのがあるかなぁ?
『他人の言動を気にしなさい』『他人の反応を気にしなさい』・・・?
そういう信念をもって、生きてきたことがないので、チルルMumには分からぬ。

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チルルMumは、『自分を客観視』に、全く1%も同意しません。
Yuにも、『Mumは、その考えに、断固反対!!』と伝えました。

正直に言うと、この教育こそが、多くの人を苦しめている信念の一つじゃないかとさえ、思っています。

今回、このエピソードをご紹介したのは、『自分を愛する』ことを始めようと思ったら、まず取り組むべきとMumが提案することは、他人の行動の意味や感情を推し量ること、気にすることを止めること、だからです。

もし、『自分を客観視』の意図が、私の解釈と異なれば、ごめんね、せんせい。

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他人の評価や言動・感情は、私の感情とは、全く関係ないという信念は、25歳ころ芽生え始めました。

私の母は、祖父のことを凄く恨んでいて、たびたび祖父母の悪口を言っていました。
私は、祖父母のことはよく知らないけど、私が知っている祖父母はそんな風に悪く言われるような感じではありませんでした。ただ反論すると、母は、『Mumは、知らないからよ。』と言って、怒るのです。
社会人になり、自分で稼ぎはじめて、ようやく一人の人間として、母に対し自分の考えを表現することが出来るようになったときは、とても晴れやかでした。
Yuが生まれたとき、祖父に会いに行くことを決意しました。10数年ぶりです。
母に『おじいちゃんのことは、自分で会って、話をして、判断する』そう伝えると、母は『碌なことにならないと思うよ。』と、母と祖父のエピソードを再びいくつも私に話して聞かせました。 10年以上会っていない、しかも、母は養女だったので、私と祖父母に血の繋がりはありません。母の話も心に残っていますので、ドキドキハラハラしながら、会いに行きました。祖父は、驚いていましたが、涙ぐみ、とても歓迎してくれて、精神的にも強く、カッコよく、すぐに打ち解けました。祖母も、聞いていたように意地悪ではなく、普通のおばあちゃんでした。Yuと4人で、ときどき会っては、祖父の昔話などで笑い合いました。

この出来事は、私にとっては、大きな発見でした。
・他人の評価は、私とは無関係
・私が心を開けば、相手も開いてくれる可能性がある
・自分以外がNGと言ったとしても、やってみなきゃ分からない
・周りからの情報に惑わされて、恐れるな
・他人の感情と自分の感情は別もの

本人が表現したわけでもないことを、他の人の価値観で推測したことを見聞きしたところで何の役にも立たない、そういう信念が芽生え始めた出来事です。なんとなく、他人の感情を推し量ることは、自分にとって善くない可能性に気が付き始めた頃です。
この世界は、他人の感情や言動が、そこかしこに溢れています。私は、それを吸収し、振り回され、自分の感情が分からなくなり、そこから生まれる自分の言動が歪んでしまっていることに、気が付き始めました。

ただ・・この頃は、自分の感情には、まだまだ鈍感で、自分の感情を知ろうとしても、ムズカシイ・・と感じていました。
頭で少し理解していても、同じようなことを繰り返し、母の感情を汲み取り、姉の感情を汲み取り、『Mumは冷たい』と言われれば、優しく手を差し伸べたり、衝突を回避し、『Mumは、何しても怒らないから』と利用されたりすることを繰り返し、他人にとってイイ人で居続け、自分を誤魔化し続ける年月は経過しました。

周りの感情や空気を読み取って、なんだったら先回りして、自分の感情はよく分からないまま、自分の言動を無意識に選択していました。
今思えば、現実が苦しくツライはずです(´・ω・)

そういう風に過ごして数年・・怒涛のように、もはや変わらざるを得ない、別の選択をせざるを得ない状況が次々と訪れました。しまいには、死ぬか、別の選択をして生きるか、の状況が与えられました。

そういった状況にあって、ようやく・・止めよう、と決意できた(決意せざるを得なかった)ことがあります。
・他人の感情を推し量ること
・他人の期待に応えること

決意してからも、紆余曲折ありました。困難や衝突もありました。大変でした。
何度も、他人の感情を無視している気がする罪悪感に苛まれましたし、他人の期待を分かっていて応えない自分が悪い人間だという罪悪感にも苛まれました。自分が、自分を責めたのと同じように、周りからも責められました。
『あなたの気持ちはわかるけど、私には出来ない』『いくら責められたとしても、出来ない』そう繰り返す日々もありました。どれだけ冷たく酷い人間かを、複数の指摘される日々もありました。
この選択で善いのかな?と自問自答の日々で、母はNGと言ってくるし、周りもNGと言ってくる。目に見える人間のうち、”大丈夫だよ”と背中をおしてくれる人は記憶になくて、あまり人とも関わらず、ひとり、自分の心の動きを観察していた時期もあります。

多くの罪悪感の中にあっても、他人の感情や期待を推測すること、応えることを止められた理由は、おそらく自分の本当の心を、どうしても知りたかったから。・・・かな?

あとは、ん~~~うまく表現できないけど、蔑ろにされ続けた自分の心が可哀そうだった。私は他人の心ばかり気にして、自分の心は全く顧みず、労わりも慈しみもせず、自分が自分の心を大切にしなかったら、他の誰がしてくれるの?って、思い至ると、途方もなく自分が可哀想で、自分のことを何とかしてあげたくなったから。・・・かな?
この世界の誰も大切にはしてくれなくても、自分だけは自分のことを大切にしてあげようと心底思ったから。・・かな?なんでだろう。脳みそでコタエを出そうとすると、そんなところかな。魂の観点からいえば、単に、導かれたんだと思います( *´艸`)


でも、全然、自分の心なんて、分からない。

そんなとき、ちょうど、赤ちゃんだったYuが身近にいてくれました。
・・・何を食べたいか、どちらの方向に行きたいか、悲しいのか?嬉しいのか? 赤ちゃんだったYuを観察して、Yuを真似して、ちょっとしたことから、自分の心の動きを観察し始めました。(必要なことは必要なときに与えられる、振り返るとそんなことばかり。)

それを続けて、数年。

自分のことを、とても好きになれている現実に気が付きました。

初めから、ひとっ飛びにここまでこれたならいいのですが、魂の成長(経験)は、そういうことはしてくれません。
それに、過去の自分は、その時その時で、精一杯ベターな選択をしたのです。

他人の期待に応えなければ、他人の感情に同意しなければ、他人と同調しなければ・・・何が起こると思っていたんだろう?でも、何故だか、他人の期待や感情に反する自分の選択をすることは理由もなく怖かった。。
たしかに、あの決意の後、行動に移すと、今まで私を自分の為にコントロールしようとしていた人たちからは今まで以上に強い精神支配を試みるような反応が返ってくるようになりましたし、離れなくてはいけない関係もあったかな・・新しい自分に合う新しい出逢いも、出来事もたくさんあった。
今となっては、何故、他人の期待に応え、感情を汲み取り、同調するような選択をしたのか全く分かりません。ただ、そういうことは、もう自分には必要なくて、もうしない自分が好きだ、ということを実感しています。

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『自分を愛する』そのために、何から始めるか?

まず、止めてみましょう。

” 他人の感情(言動)を汲み取ること”
”他人の期待に応えること”

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他人の言動から、他人の感情を推し量ることは、あなたにとっても、相手にとっても、善いことではない(チルルMumのideaです)

少なくない人が、魂が生じさせる感情を無視して、頭が作り出したニセ感情モドキに基づき言動を選択しています。

そうだとすると、あなたが推測した感情は、相手にとって真に魂から生じる感情と一致する可能性は、限りなく少ないのです。推測したところで、しょーがない。

あなたの魂にとって善いことは、誰にとっても善いはずです。
だから、大丈夫。他人の感情(言動)を汲み取るのではなく、自分の感情を汲み取りましょう。脳が都合よく作り出したニセ感情ではなく、魂からの声である感情を見つめましょう。

損得を考えているとき、リスクを考えているとき、失敗しない方法を考えている時、成功する方法を考えているとき、何が正解か考えているとき、有利不利を考えているとき、お金の算段をしているとき、現状維持を考えているとき・・・etc、そういう時に生じる感情は、脳が作り出したものである可能性が大。

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阿吽の呼吸
言わなくても分かって

という無言の他人の期待に応える必要はないし、応えないことが相手にとっても善い可能性を検討してみましたか?

可哀そうな私
病気な私
被害者な私

そういった感情をあなたにぶつけてくる相手は、本当は自分で正対すべきことを、あなたに責任転嫁してきている可能性を検討してみましたか?
あなたが手を差し伸べることで、相手は学ぶ機会を逃しているかもしれないと検討してみましたか?

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モヤモヤ、イライラ、怒り、恨み、被害者意識、そういった感情が生じたときに、その感情を誤魔化していませんか?

そういった感情は、あなたの魂からの声に反しているときに湧き上がってきます。

じっくり、しっかり、味わい尽くす。

そして、いよいよ、もう要らないかな~という段階になったとき、あなたは、ただ一人だけで、その感情を変化させることができます。

同じような出来事が、試すように起こるかもしれません。
もっと衝撃的な出来事が、試すように起こるかもしれません。
本当にいいの?って。

あなたは、そこで、返事をします。たぶん無意識に。
その返事は、宇宙の法則に則って、判断されます。

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自分を愛する

まずは、自分にフォーカスする

そのために、
他人の感情や意図を推し量ることを止めます。

他人の感情や言動を理解できたとしても、それを自分の感情や言動へ汲み取る必要は全くありません。

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いま、一つの映像が浮かびました。

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丸い美しい地球に、ただ一滴の雫が、落ちています。

その雫は、わたし。

その雫だけ、静かに、地球を覆うように、広がります。

他の雫はあるようですが、交わることはありません。

地球には、様々な存在があるような気がしますが、
一滴の雫、それ自身は、純粋な自分だけが存在すると感じていて、静かな感情が湧き上がり、高まることを嬉しく感じています。

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あはは( *´艸`)

素敵な締めくくりのメッセージを、プレゼントしてくれました(*^^*)

ありがとう!!

みんなは、このメッセージから何を感じますか?

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このフローライトは、生まれたままの姿、神聖な姿、視える気がしませんか?

木化石も、自分にフォーカスすることを援けてくれます。