傷ついたとき、傷つけたとき
何気なく言われた一言に、傷ついたこと
何気なく言った一言で、傷つけたこと
攻撃的な言葉に、傷ついたこと
攻撃的な言葉で、傷つけたこと
悪気のない言葉に、傷ついたこと
悪気のある言葉で、傷つけたこと
ありますよね??
みなさんは、”傷ついたこと” と ”傷つけたこと” と、どちらの方が心の負担になっている気がしますか?
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私は、”傷つけたこと”の方が、ずっと自分の心にとっても負担だと感じています。
ず~っと、気になっちゃう。
どういうときに、ずっと気になるか、というと、
相手が傷ついた顔をしたり、泣いたり、怒ったりしたから、ではなく(※ブログ『自分軸にスイッチする方法』参照)
自分にとって、自分だったら、こう言われたらイヤだな、傷つくな、ということを他人に言ってしまったときです。
『人にしてほしいと思うことを、人にもその通りにせよ』
この言葉が、心に浮かび、後悔します。
そして、早々に謝罪することにしています。
傷つけた(かもしれない)相手のためではなく、自分自身のために。
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自分自身のためにしたことは、巡り巡って相手の為になると信じているので、
自分の行動を、誰かの役に立つという風に意図して、決めることは、私はありません。
誰かに申し訳ないから謝るのではなく、私が謝りたいから、謝ります。
誰かに喜んでほしいからするのではなく、私がしたいから、やります。
誰かに感謝してほしいから手助けするのではなく、私が必要と思ったら、やります。
ちょっとした言葉遊びのようですが、魂の動きとしては、全く異なります。
もちろん、結果として、喜んでくれたり、笑ってくれたり、お礼を言われると、嬉しいです。
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自分だけが、ワタシの心を満たし、ワタシに責任を取ることができます。
それは、みんな一緒です。
誰かに、ワタシの心を満たしてもらい、ワタシに対して責任を取ってもらおうとすると、
人を責めたり、情緒不安定になったりしてしまいます。
他人の掌の上に、ワタシの人生の基盤と心を預けてしまうと、ワタシは何をしても虚しく、淋しくなってしまいます。
ワタシの幸せは、ワタシの掌の上に。
全てのことは、自分次第であって、他人もそうだ、と信じませんか。
そう決めて、それを基準に生きてみることで、変わる現実があります。
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”傷つけられたこと”
誰かから、掛けられた声や態度、いつまでも気になることがありますよね。
そういう時は、自分にとって、何かしらの意味がないかな?と思いめぐらせてみましょう。
その時に、答えみたいなものが、分からなくてもOKです。
こういうことかな?という雰囲気。
そして、相手にとって、どういう意味があるのかも、思いめぐらせてみましょう。
そうすれば、課題の分離が出来ます。
相手の課題は、解決してあげることはできません。
あなたには、関係のないことなので、そっとしておきましょ。
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誰かの言葉や態度、自分が経験したことが、ジクジクと痛むとき。
そういう時は、心のポケットにしまってしまいましょう!
『いまは、まだ、ジクジク痛んでいいとき』
ということで、癒すことを先送りしてしまいます。先に進む。
心の中に、何段もある引出しをイメージして、誰かの言葉や態度は真ん中らへんへ、自分の経験は上の方へ、ポイッと入れて、パタンと閉じてしまいます。
始めの方は、ちょくちょく引出しが開いてしまいますが、その都度、パタンと閉じます。
そうこうしている内に、引出しは閉じたままになります。
そして、必要なとき、ふとした時に、引出しが、必要な程度開き始めます。
開くたびに、気が付くことが増えたり、癒したり。
その度に、引出しの中は、軽くなっていきます。
最後には、引出しにしまっておく必要がなくなるので、その引出しは空っぽです。
私は、耐えがたいような苦悩、心の痛みは、こういう方法で、ちょっとずつ受け入れて、解消してきましたし、今もしています。
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チルルのパワーストーンは、こういったことを支援するように、育てています。
そういうことを支援する意思のあるストーンを販売しています。
違うのは、一つ一つのストーンの個性と、持ち主との相性、そんな感じかな(*‘ω‘ *)
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